第1日目
藤波貴久(Montesa-HRC)の初優勝は、1997年のドイツ大会だった。あれから4年、藤波は表彰台の常連となり、この2年間はランキング2位の座も維持するまでになったが、しかし優勝だけがなかった。ベルギーのセクションは3ゾーンあり、最初の3セクションはスタート地点から4キロのところにある森、次の9セクションは小さな丘と廃屋のまわりに位置している。最後のふたつは、スタート地点付近にインドアスタイルとして設営されていた。そのほとんどが長い時間をかけて人工的に作られたものといっていい。そこを藤波は、並外れたコンセントレーションを持って戦い、わずかのミスを持って優勝を手にしたのだった。
反対に、王者ドギー・ランプキン(Montesa-HRC)は、この日はコンセントレーションを乱しているように見えた。ランプキンはどのセクションも最後にトライする権利を持っていたが、しかしランプキンらしくないミスを連発して、ライバルに大きな隙を見せてしまうことになった。
セクションは、けっしてむずかしすぎはなかった。大ステアの前には、メカニックが悪さをしないですむように、あらかじめ置き石が設置されていた。これは、金曜日にセクションの下見をした中堅から下位のライダーが、セクションがむずかしすぎると抗議を出したことにも応えていた。
1ラップ目が終わった時点で、藤波に1点リードを奪ってトップに位置していたのはグラハム・ジャービス(Sherco)だった。そして3位はマーク・フレイシャ(Sherco)とアダム・ラガ(GasGas)が同点で続いていた。
ランプキンは減点19をたたいて、5位に位置していた。
Montesa Hondaに移籍してから好調のダビデ・コボス(Montesa-HRC)にとっては、この日はちょっと不運だった。1ラップ目に減点31を喫した上、1ラップ目に時間を使いすぎて、2ラップ目はまさに駆け足のトライとなってしまったのだ。
2ラップ目のベストスコアは、マーク・コロメ(GasGas)がとった。コロメは思うように熟成のできないニューマシンを一度引っこめ、従来モデルに乗って気を吐いた。ベストスコアは13点で、この結果を持って、コロメは4位にジャンプアップした。
1ラップ目トップのジャービスには、2ラップ目は不運だった。ジャービスは2ラップ目に26点もの減点を喫して5位まで後退してしまった。
チャンスは藤波に回ってきた。藤波は2ラップ目も1ラップ目と同じ減点15を守って、この日の勝利をものにしたのだ。
第2日目
日曜日の開催にあたって、ふたつのセクションが若干簡単に変更された。
ランプキンが6位になったのは、実に1996年以来のことだった。その屈辱を晴らしにかかったランプキンは、その目的を完璧に果たしたといっていい。
コロメは、旧型マシンを引っ張り出して、そのライディングは昔日に戻ったかのような切れを見せている。
12セクションで、ランプキンがクラッシュした。しかしそれは、この日のランプキンの唯一の5点だった。この5点はライバルたちを色めき立たせた。この日のセクションは、うまく走れば5点にはならなくてすむものばかりだったからだ。
1ラップ目が終わったとき、藤波とフレイシャが5点、続くはランプキンの8点。4位に10点のコロメが続いていた。ラガは13点で4位だ。この若者は、今やすっかり自信をつけてしまっている。もちろん、フレイシャも勝利への自信に満ちているし、なにより前日優勝の藤波には、勝利への気迫が充分だった。
2ラップ目、ペースは前日ほど早くなかった。時間に余裕があったからだ。こんな中、ランプキンは最高のパフォーマンスを見せた。なんと2ラップ目をオールクリーンしてしまったのだ。こんなことができるのは、やはりランプキンしかいない。
藤波は、少々緊張してしまっていたようだ。結果、フレイシャに1点リードを許して2ラップ目を終えていた。それでも、ベルギー大会を優勝と3位で締めくくれたのは、藤波には大きな成功だったといっていい。
コロメは若いチームメイトを破って4位に入った。
コボスはこの日も不調だ。トップからは遠い位置に甘んじている。
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