
成りの良さを追求した深川の網船
昨年(2017年)の4月から佐野造船所で建造が進められてきた江戸和船、「網船」が完成した。
網船は江戸和船という名の通り、江戸時代には江戸内海、後の東京湾に多く見られた漁船のことで、一丁櫓で船を押し、漁場に着くとカッパと呼ばれる船首付近に立った漁師が、颯爽(さっそう)と網を投げ打つのである。
江戸時代に創業し、様々な船を建造してきた佐野造船所でも網船が建造されていたが、湊が変われば船も変わるもので、深川近辺の江戸っ子のお膝元の網船は独自の進化を遂げていた。
どういうことかというと、江戸の大店の旦那衆が舟遊びのために、こぞって「粋な網船」の建造を船大工に依頼し、浜町界隈の船宿に管理を依頼していた。つまり深川の網船からは魚を獲るという本来の目的は影を潜め、見栄えのする「成りの良さ」が求められた。
旦那衆はそんな船の上から徳川4代将軍家綱が、常陸国(茨城県)の桜川から移植したといわれる墨堤(大川=隅田川堤防)のヤマザクラの並木を眺め、打ち上がる花火を肴に酒を呑んでいたわけだ。
初代が今の八重洲付近で創業し、弘化元年(1844年)には深川に移転した佐野造船所でも、粋を信条とした舟遊びのための網船が建造されていた。
佐野造船所9代目の佐野龍太郎社長によると、それは「節(ふし)のない一級品の檜や杉などの木材を使用し、銅釘の尾返しなどの伝統的な工法を駆使し、銅板で華やかに飾った船だった」そうだ。
今回建造された網船も一緒だ。
埼玉県・飯能産の極上の木材だけが使われ、「成りの良さ」が追求された。




取材協力:(有)佐野造船所(http://www.sano-shipyard.co.jp/index2.htm)
文・写真:大野晴一郎
文・写真:大野晴一郎