OCEAN MASTER STORY

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知られざるストーリー

2017.06.26
名匠一族の新たなる挑戦 10

江戸時代からの伝統を受け継ぐ和船の建造

ところで今、佐野造船所では江戸前和船の建造が始まっている。
全長31尺(約9m50cm)、幅6.6尺(2m)の伝統的な「網船」と呼ばれる和船だ。
ある地方自治体から、江戸時代から引き継ぐ建造方法で、本物の和船の建造を依頼された。
完成後は乗り合い観光船として使われるとのことで、そのために本来網船が持つ全幅よりも幾分大きく建造されるようだ。本来は櫓漕ぎだが、今回は船外機も搭載できるようにアレンジされる。Honda船外機のBF20が載る予定だ。
そもそも網船というのは、江戸前の海で網を打って漁をするために生まれた船のことで、大きな舳(みよし)と、敷と呼ばれる船底材が、艫付近でキュッと跳ね上がったような独特の船型を持たされている。網を打った後、櫓を中心に船を素早く回転させるために、艫のあたりの引き摺りを少なくした船型なのだそうだ。そう説明していただいたのは、佐野造船所9代目の佐野龍太郎社長。
さらに「江戸前の網船といっても、港が変われば船の仕様はみんな違う。品川も深川も浦安も、船橋もみんな違う」とも教えていただいた。
その中で、佐野造船所を中心とした深川の造船所が江戸時代に造った網船は、独特の文化の中で生れた。大店の旦那衆が財力にものを言わせて舟遊びのために建造させ、その多くは日本橋・浜町あたりの船宿に管理を任せていたそうだ。
旦那衆の舟遊びのために建造された深川、日本橋界隈の網船は、銅板をふんだんに使うなど贅をつくし、「成りが良い」ことが良い船の条件とされてきた。つまりイキな船という意味だ。
「江戸前の網船といっても、港が変われば船の仕様はみんな違う。品川も深川も浦安も、船橋もみんな違う」
その中で、佐野造船所を中心とした深川の造船所が造った網船は、独特の文化の中で生れた。大店の旦那衆が財力にものを言わせて、舟遊びのために建造させたのが、深川近辺で建造された網船で、その多くは日本橋・浜町あたりの船宿に管理を任せていたそうだ。
同じ網船でも漁が目的ではなく、旦那衆の舟遊びのために生まれたのが、深川、日本橋界隈の網船だ。だから銅板をふんだんに使うなど贅をつくし、「成りが良い」ことが良い船の条件とされてきた。つまりイキな船という意味だ。
今回、佐野造船所が建造する網船の材料は、すべて国産の杉材と檜材を使うそうだ。
「国産の木を使わなければ、和船とは呼べない」とは佐野社長の言葉だ。
使われる杉も檜も埼玉県の飯能産で、樹齢はおよそ150年というから驚きだ。
杉は敷(しき)、加敷(かじき)、船側板の上棚(うわだな)などに使い、檜は船梁用に使われる。また伝統的な和船建造に使われる和釘は、すでに製造元がないため、佐野社長とともに9代目を担う弟さんの稔氏が銅を打って作り上げた。
「無ければ作る」それが佐野造船所の伝統でもある。
5月下旬の取材では、敷に舳(みよし)が立ち、戸立(とだて)と呼ばれる船尾も立ち上がった。
現代を象徴するランナバウト「RIGBY」と、江戸前和船が同一場所で同時に建造されている光景は、佐野造船所以外では見ることはできない。今後、網船の建造の様子も順次ご紹介していく。
和船の原図作業を終え、型紙を取る佐野社長。今後、今回の網船の建造にあたっては、江戸時代から続く技術を後世に残していくために、本来は和船の建造工程には無い作業も順次行っていくそうだ。
船底材となる敷が完成。手前が船首側で奥が船尾側だが、船尾側が切れているのがわかる。これは艫を跳ね上げるためで、後に1枚物の船底材として接合される。この跳ね上がった船底材は、艫敷(ともじき)と呼ばれる。
敷をひっくり返す。
見事な舳(みよし=水押とも表記)。
こちらは戸立と呼ばれる船尾だ。現代風に言うならトランサムである。
伝統の中で建造される網船の戸立と、最新鋭ランナバウトのRIGBYのトランサムが並ぶ光景。和船の敷(船底材)に注目。戸立付近が跳ね上がっている。この部分が艫敷(ともじき)。
佐野龍太郎社長とともに9代目を担う弟さんの稔氏が製作した、銅製の和釘。手に持っている銅を打って伝統的な形状の釘にした。
網船を建造中の佐野社長。
取材協力:(有)佐野造船所
文・写真:大野晴一郎
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