Me and Honda, Career Hondaの人=原動力を伝える Me and Honda, Career Hondaの人=原動力を伝える

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ギャップを埋め現場を変革せよ──アメリカ駐在経験がもたらした視座

電動二輪車の開発グループでリーダーを務める眞壁。これまでに二輪車のエアバッグの開発や、アメリカで四輪車オフロード車両の制御システム開発に携わり、幅広い経験を積み重ねてきました。その経験のなかで何を考え、これから何を目指していくのか。眞壁が携わってきた仕事や、その時々で感じてきた想いに迫ります。

眞壁 巧Takumi Makabe

二輪・パワープロダクツ事業本部 ものづくり統括部 コンポーネント開発部
制御システム開発課

2004年にHondaへ入社し、二輪車のエアバッグや四輪オフロード車のパワーステアリングの開発を担当。2014年から5年半アメリカに駐在し、現地の開発環境整備およびスタッフの教育に携わる。帰国後は、電動二輪車のモーターを動かすシステム開発のグループリーダーを務める。

二輪から四輪へ──新しいものに触れられる環境で、さまざまな開発経験を積む

国内外で幅広い事業を展開しているからこそ、多様な経験を積むことができる。そんなHondaの魅力を体現するようにキャリアを積んできた眞壁は、2021年秋頃から電動二輪車の開発に携わっています。

眞壁 「電動二輪車のモーターと車両の制御システムを開発するグループのリーダーを務めています。オートバイやスクーターの動力性能は、バッテリーからモーターに流す電気量やモーターの特性に依存します。それ以外の車両の制御は、電動・非電動に関わらず共通部分も多く、これまでの経験を幅広く活用することができています」

入社以来さまざまな領域で仕事をしてきた眞壁がHondaに興味を持ったきっかけは二輪車でした。

眞壁 「大学生になってから、友人に誘われて二輪の免許を取ったんです。乗ってみたらすごく楽しくて、運転がうまくなりたいと思い講習会で練習を繰り返していました。そこで交通事故の講義も受けて、安全な二輪車を作れたらいいなと思うようになったんです。

当時Hondaが、車両同士で通信をしながら、危険の存在をドライバーに認知させるクルマ・オートバイを開発していたんですよね。そういうことがしたいと思って応募しました」

2004年の入社後、眞壁は念願が叶って、安全性を高める二輪車のエアバッグ開発に携わることができました。

眞壁 「所属していた部署が、二輪も四輪バギー(ATV:All-Terrain Vehicle)も扱っていたんですよね。私は最初に二輪車のエアバッグを開発していましたが、その後上司から『四輪バギーの開発をしてみないか』と声を掛けられ、挑戦することにしました。

当時、市販されている二輪車にエアバッグは付いておらず、四輪バギーも日本でほとんど使われていないので、どちらも馴染みがありませんでした。ですが、新しいものにチャレンジできる楽しさがありましたね」

四輪バギーはオフロード車両で、主にアメリカやカナダで使用されています。砂漠や森の中、農場を走るのに使われており、眞壁が所属していた日本とアメリカの現地法人が一緒に開発を進めています。二輪車のエアバッグ開発に携わったあと、眞壁は10年以上この四輪バギーを担当することになりました。

アメリカ駐在で道を切り拓き、開発の下地を整え現地スタッフの教育を進める

▲四輪バギーに乗る眞壁/アメリカ駐在時 プライベートのひとコマ

2014年7月から、眞壁はホンダR&Dアメリカズに6年ほど駐在しました。

眞壁 「四輪バギーは北米市場で販売されている製品ですが、現地に制御システムを開発する人がいなかったので開発できる環境を整えるために派遣されました。

現地スタッフを教育したり、現地の部品サプライヤーの方と一緒に仕事をするためのやり方を決めたりといった、開発の下地づくりが私の役割でした。当時、グループからはじめて海外駐在し、現地サプライヤーとの仕事も初めてのことだったので、トライアンドエラーを繰り返しながら道を切り拓く必要がありましたね」

アメリカで開発できるようにしたのは、市販の乗用車に使われている技術でした。

眞壁 「当時、四輪バギーはSxS Vehicle(Side-by-Side Vehicle)と呼ばれる2名以上で乗る商品が登場し、乗用車のような快適さと、オフロードを走れる楽しさ・タフさを両立する方向に進化していたので、乗用車向けの技術を四輪バギーに取り込むための開発を現地スタッフと進めていました。主に行っていたのは、電子制御サスペンションや電動パワーステアリングの制御システム開発です」

サスペンションを制御できるようになると、四輪バギーもより楽しく走れるのではないか。そんな仮説を立て、眞壁はサスペンション制御の魅力探索プロジェクトを進めました。

眞壁 「四輪車には、クルマの動きを検知しながらサスペンションが減衰特性を変えることで、快適な走行を可能にする『セミアクティブサスペンション』というものがあります。それを四輪バギーにも取り入れようとしましたが、一筋縄ではいきませんでした。

車両の挙動に合わせて特性を変えられることが売りのセミアクティブサスペンションですが、オフロードのように凸凹の多い路面を速く走ろうとすると、スポーツ走行に適した特性を維持してしまい、調整機能をフルに活かしきれないことがわかりました。

そこで、お客様の車両の使い方を再検証したところ、速く走るよりもゆったり走っている割合の方が多いことを突き止めました。検証結果を踏まえて、たとえば1台のバギーに4人の家族と荷物を乗せてゆったりと走行する際に、より快適に走れるような性能にフォーカスして開発を進めるようになったんです。

当時、競合他社の四輪バギーもセミアクティブサスペンションを搭載し始めていて、魅力をうまくお客様に訴求していたので強力なライバルだなと思っていました。しかし、彼我比較をしてみると、快適性という軸では我々の四輪バギーの方が高い評価をいただくことができ、狙い通りの結果でした」

開発プロジェクトだけでなく、現地のエンジニアへの教育も眞壁のミッションでした。

眞壁 「私は日本では四輪バギーのエンジン制御の開発もしていました。私がアメリカに駐在をしている間も、四輪バギーのエンジン制御開発の主軸を日本に置いたので、日本の開発チームの協力なしには開発ができません。どのように日本と連携しながら開発していくか、現地のエンジニアの意見を聞きながら組み立てていきました」

日本とアメリカの文化の違いを埋めるために奮闘

アメリカ駐在中に大変だったのは、日本とアメリカで大きく異なる文化のギャップを埋めることだったと眞壁は振り返ります。

眞壁 「あくまでも傾向ですが、日本では周りの空気を読みながら働きがちですし、会社への貢献のために、自分の業務範囲からのリーチングアウトを通じて評価を得ることでキャリアが上がっていくことが多いと思います。

一方で、アメリカでは最初に自分の責任範囲を明確に決め、それを全うすることで評価を得ますが、その責任範囲の外には出ないというのが基本です。また、家庭を大切にするので、どんなに仕事が忙しくても家族のイベントがあると業務を終了して帰ってしまいます。仕事に対する価値観の違いから生じる隔たりを埋めるのは、難しかったですね」

ギャップを解消するために、眞壁は双方に必要な考えを伝えました。

眞壁 「日本側には『相手に期待値を丁寧に伝えよう』と話し、アメリカ側には『共に働くメンバーをカバーし合う目線を持とう』と話しました。

実際に仕事を進めていくと、『この仕事はアメリカ側、この仕事は日本側』というように、責任範囲を重複せずに区切ることは難しく、日米合同チームとしての業務を円滑に行うため、各自がリーチングアウトして、全体をカバーできるようにしようと説明していましたね」

双方のカルチャーの違いを理解して円滑に仕事ができるよう奮闘していた眞壁ですが、良かれと思って行動したことがトラブルに発展したこともあります。

眞壁 「現地スタッフが、約束していた仕事の期日を守れずに帰ってしまうことがあったのですが、プロジェクトをスケジュール通りに進めなければならなかったので、私が手を出すことが何度もありました。その行動をうけて、現地スタッフが『自分の仕事を奪われた』とマネージャーに相談していたんです。

マネージャーは日本人とアメリカ人の特性の違いがわかっていたので、何とか抑えるように説得してくれましたが、そのスタッフとの関係性はギスギスしてしまいました。このままではいけないと思い、そのメンバーと腹を割って話し、『自分の期待値をあらかじめ伝えるから、進め方を一緒に考えてほしい』『もしプロジェクトの進行のためにフォローをするときはきちんと言う』と伝えることで関係性を改善できました」

眞壁は、それぞれの違いを理解しながら仕事に取り組むことの大切さを学びました。

眞壁 「アメリカは多様性の国で、境遇や価値観が異なる人がたくさんいます。その違いを理解しながら相手が納得できるような話の持ちかけ方などを意識して、一緒に仕事をすることが大事だと感じましたね。

自分はもともと引っ込み思案な性格なのですが、アメリカに行ってからは自分で発信しないと物事が前に進まなかったので、駐在経験によって自分自身も変化したなと思います」

今を変えたい──違いを活かし、価値観をアップデートし、変革していく

6年ほどの駐在を終えて帰国した眞壁は、帰国後もオフロード車の開発業務を続けていました。

眞壁 「日本とアメリカの橋渡しをしながら、日本で働くメンバーが自主的にアメリカとコミュニケーションを取れるようになるまでリーディングしました。2年ほど経ってから、現在の電動二輪車の開発をすることになったんです。

二輪車は中国やインド、東南アジアの海外諸国が大きなマーケットです。協力してくれる部品サプライヤーさんや、一緒に仕事をするメンバーも海外の方々。文化の違いを踏まえながら橋渡しをすることは大変ですが、環境や価値観の違う人たちと関わりながら業務を進めていくことにおもしろさを感じています」

眞壁が仕事をするモチベーションの源泉となっているのは、“今を変えたい”という強い想いです。

眞壁 「現在開発している電動二輪車は、Hondaが先駆者というわけではありません。他社に追いつかなければならない部分が多くあり、そのためには今までの開発のやり方や価値観をうまく変える必要があります。現状を変革することで、新たな商品を生み出していきたいですね」

眞壁は長年オフロード車に携わってきた経験と現在開発を進めている電動車の知識を活かし、今後はゼロエミッション*車の提供に貢献していきたいと考えています。

*廃棄物や環境負荷物質を限りなくゼロに近づけること

眞壁 「北米では乗用車・トラックの販売台数に応じて、ゼロエミッション車を一定台数売らなければならないという規制があります。四輪バギーは今のところ規制の対象にはなっていませんが、社会動向から間違いなく四輪バギーも電動化が求められていくと思っています。

エンジンはある程度回転数が上がったところで最も力が出ますが、モーターは回転をはじめるときに1番力が出ます。凸凹の地面で荷物をいっぱい積んで走る四輪バギーの特性にモーターが合っていると思うので、電動化を通してお客様への新価値の提供に貢献していきたいですね」

オフロード車開発にはじまり、海外での開発の下地づくり、そして電動車開発。

さまざまな経験をしたうえで「今後はこうありたい」という強い想いを抱えている眞壁は、これからも幅広い業務に挑戦できるHondaの強みを存分に活かし、前進していきます。

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