チシタリアGT
フラッシュボディの元祖であるマイバッハDSAの不成功のあと、それを時流にのせたチシタリアGT。
クルマを馬車から脱皮させ、スポーツカーデザインに多大な影響を与えたピニンファリーナ。
誕生後約100年の間にどれほど自動車のスタイリングは変わっただろうか?
空気力学の研究などによって生まれた 流線形デザインや、逆にテールを垂直に切り落として空気の剥離や渦の発生を最小限に抑えるカム・テール、その他ウェッジシェイプ、リアエンジン、ミッドシップ、3輪のサイクルカースタイル、サイドラジエター、ドアミラー、ガルウイング、リトラクタブルヘッドライト、エアスポイラーなど造形を左右する変化は様々とあった。
しかし大きくは、馬車のスタイルを真似た時代と、そこから脱皮した時代に分けられると思う。
その、馬車からの脱皮を実現したのがフラッシュサイドボディというエクステリアデザインだ。
フラッシュとは平坦という意味。つまり側面が平坦なボディである。
それまでのクルマは、馬車のように車輪がボディから離れていた。やがて車輪に泥よけがついたり、泥よけがフェンダーとしてボディと一体になっても乗降用の踏み板が残った。
それを平坦に、つまり車輪をボディの内側に取り込んだのがフラッシュサイドボディである。
これを最初に行ったのが1932年のドイツのマイバッハDSA、通称ツェッペリン。
ツェッペリンとは、ドイツの有名な飛行船会社でマイバッハは、飛行船のような流線形ボディも採用した提案型のクルマだったのである。
しかし、人はデザインの変化に対しては意外と保守的なのだ。踏み板も張り出したフェンダーもなく、あまりにもあっさりとしたボディサイドと、流れるような奇異なテールデザインは人々に受け入れられなかった。
こうして、初期の流線形ボディデザインのクルマはほとんど失敗に終わるのである。
そして時は1947年、マイバッハを差し置いてフラッシュサイドボディの元祖として各著で紹介されているチシタリアGTの登場となる。
ピニンファリーナの手によるこのスポーツカーが、カースタイリングの馬車からの脱皮を決定づけた。
美しさ、高い実用性、容易な生産性などが成功の理由に挙げられるが、マイバッハ以来、長い時間をかけて人がこういうデザインに慣れたのも事実だろう。
ピニンファリーナはその後も、フェラーリ250GTや308GTBなど究極的な美しさをたたえるスポーツカーデザインを創造し、まるでビートルズがすべての曲の源にあるようにすべてのスポーツカーのデザインに影響を与えたといっても過言ではない。
フェラーリ308GTB
現代のスポーツカースタイリングの源流ともいえるフェラーリ308GTB。
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NSX Press vol.24 1999年10月発行