メルセデス・ベンツ300SLR/速く走るために鋭く止まる。より強大なストッピングパワーの追求。
エアブレーキを立てるメルセデス・ベンツ300SLR。
この大きなスポイラーは、他車の視界を大幅に妨げた。
しかし、自車のバックミラーの視界は、スポイラーの一部を透明にして確保してあった。
ブレーキング。それは、スポーツドライビングやレースを行うドライバーにとって永遠のテーマである。
アクセルは踏み過ぎたら緩められるし、ステアリングは切り足したりできる。
しかしレースなどでフルブレーキングした場合、コーナーの入り口でオーバースピードだと思ってブレーキを踏み増しても、あとはタイヤがロックするだけでさらに速度を落とすことができない。修正が利かないゆえにブレーキングは難しいのだ。そのブレーキには、自動車自身も苦労している。
ブレーキシューを直接スチールタイヤに押し付ける馬車の延長線上のものから金属バンドでドラムを締め付けるブレーキ、それからシューが外側に広がる現在のドラムブレーキへと発展したが木や圧縮した繊維、革などでできたブレーキライニングは熱で変質しやすく、技術者はその問題に悩まされ続けた。1903年のメルセデスが、ブレーキを踏むと上の水タンクから水滴がしたたり落ちる水冷式ブレーキを採用したのもそうした苦労の現れだった。
その熱の問題を解決し、1905年から1986年まで約80年間もブレーキライニングの王座に輝き続けたのが耐熱・耐久性に優れたアスベストである。
また、初期の自動車は、前輪を制動すると不安定になるためドラムブレーキはもっぱら後輪用で、加えて駆動軸にバンド式のドラムブレーキを搭載し併用していたという。この方式が、1930年頃まで米国では一般的に使用されたというから驚きである。
その後、グランプリレースに4輪ブレーキが登場したのが1914年のリヨンのレースで、4輪油圧ブレーキの量産化にはじめて取り組んだのが1925年のクライスラー。
油圧ブレーキの登場により、それまで踏力の大きさが問題だったディスクブレーキに目が向けられはじめた。これを市販車に採用したのは1949年のクライスラーだったが、何故か商業的に成功せず長続きしなかった。
そして1952年に、ダンロップ社が航空機技術を活かして開発したディスクブレーキをジャガーXK120Cタイプが採用。同年ミッレ・ミリアに出場するが、翌53年のル・マンで優勝しそれまでファッション的なパーツと見られていたディスクブレーキが性能面で注目されるようになった。
1955年のル・マンでは、ディスクブレーキを搭載する宿敵ジャガーを打ち破るためにメルセデス・ベンツ300SLRが大型のテールスポイラーを立ててドラムブレーキの制動を助け、姿勢制御にも効果のある珍妙なエアブレーキを採用した。
ジャガーXK120Cタイプ
ディスクブレーキの性能の高さを
世界に示したジャガーXK120Cタイプ。
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NSX Press vol.24 1999年10月発行