ただし、この説明が上原氏の本当の意図通りに受け止められてきたかということになると、必ずしもそうとは言えないかも知れない。というのも、ご存知のようにNSXが誕生した当時は、既に黄信号が灯っていたことに気付かずに、世の中がまだバブルに踊っていた頃だった。おかげで高品質・高価格、それゆえ希少性の高いNSXは、一部で、バブル時代の申し子のように評されたこともあった。乗り手を拒むような性格にはしたくないという開発陣の配慮さえ、ある種の軟弱さの表れと誤解されることもあったのだ。
無論、これは上原氏の真意とはまったく違う。この点をもし質せば、当の本人はエンジニアらしく慎重に言葉を選びながらこう説明するはずである。
「たとえばフェラーリは、乗り手についても非常に狭いところを見ているように私には思えるんです。これは開発手法の違いでもあるのでしょうが、もしユーザーが高速域で急にステアリングを大きく切ったとしたら…、ということには配慮していないように思います。まず、一発で決定的なコントロール不能の状態に陥るでしょう。それでもいいじゃないか、そういうところは切り捨てて考えろ、という意見もあるかも知れませんが、我々はそう思いません。万が一の場合にもできるだけの制御が利くように、致命的な状況に陥らずに経験を積んでもらえるように、と考えるのが我々のやり方です。それがつまり、NSXの目指すユーザーへの優しさなんです」
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