予選を終えると決勝前の金曜日は休日となる。マシンに問題のないチームは、24時間のロングディスタンスに向け、ゆっくりと体を休める。我がNSXチームも、エンジンのことはさておき、事前に対処する大きな問題を抱えてはいなかった。チームはゆっくりと休んだ。あとは明日のスタートを待つばかりである。しかしこの日、ドライバーには大事な仕事があった。ルマン市内をクラシックオープンカーに乗ってゆっくりと巡るパレード。昨年からルマン市の全面的なバックアップによりはじめられた、ルマン24時間レースの盛大なセレモニーである。 ルマンが地元住民に愛されるイベントであることがこうしたことからもわかる。“競争”を行うレーシングドライバーを紹介するために、動く状態にある60〜70年も前のクラシックカーを何十台も集め、市の中心部の道路を封鎖するなどということは日本では絶対に行われないだろう。
 パレードは午後6時にはじまる。スタート地点となるジャコバン広場は衣類や靴、装身具などを売る屋台で埋めつくされていたが、午後5時に向かって徐々に店じまいがはじまり、入れ代わりに舞台の設営がはじまった。舞台は木製の非常に簡単なもので、外側が真っ赤な布地と金のモールに覆われている。昇り、降りるスロープがついていて、タイヤの通るべきラインが金のモールで記されている。パレードが中盤にさしかかったとき、このラインを踏み外した1台が、あわれバリバリと音を立て右側のタイヤを舞台にめり込ませて傾いてしまった。ドライバーは驚きの表情を浮かべ、周囲は大いに湧いた。ラインを外すとそこは地獄という、まるでサーキットのような舞台である。これもルマンの人々のレース好きのせいだろうか?それはともかくも不運に見舞われたドライバーは、49号車、ダッジバイパーに乗る3人である。そして、目前で難を逃れたのは我がNSX、高橋、土屋、飯田の3ドライバーだった。彼らの運はレース以外でも力強いようだ。
 見物人は5時を30分も過ぎると一杯になってしまった。クルマがやっと1台通れるスペースを残し、道路といわず歩道といわず人で埋めつくされた。スタート地点だけでなく、延々とである。近くのバーで一杯引っかけたイギリスの紳士?集団が、ジョッキを片手あるいは両手にして騒ぐ中を、まず「24」の文字をモチーフにした優勝トロフィーがロールスロイスに乗って登場。続いてドライバーパレードがはじまった。歓声が一番大きかったのはペスカロロの乗った車があらわれたときだが、日本のドライバーに対する声援も大きかった。昨年のクラス優勝者であるNSXの3人に対しては、アナウンスもひときわ大きかった。去年の戦績を称える小さなトロフィーを持った3人は、声援にひたすら顔をほころばせた。おそらく、昨年の勝利の感動を思い起こしているのだろう。土屋選手は、もうろうとして表彰台に登ったとき、感動というよりはそこに立っていただけ。しかし、日本に帰ったその日は優勝カップを朝まで見ていたという。国さんも、飯田選手も生涯に一度出会えるかどうかの歓び、優勝の時を振り返っているようだった。
 彼らとNSXは一度勝っている。偉大な勝利を成し遂げている。「だから、気は楽です。プレッシャーはありません」と国さんはいっていた。しかし、「もう一回勝ってあの感動を味わいたいね」と土屋は素直に意欲を見せた。このときNSXは、サルトサーキットのパドックに置かれたトランスポーターの中で、静かに明日を待っていた。

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