ニュルブルクリンクで開発途上のNSXに試乗したのが、私とNSXの最初の出会いだった。私にとってこの経験は貴重なものであり、他の市販車とはまったく違う想いをNSXに抱いたのであった。
この試乗はある月刊誌の企画によるものだったが、開発途上の様子が雑誌に掲載されるようなことも国産車の歴史になかったと思う。NSXの誕生は、ホンダという1メーカーの出来事を越えたものであった。
F-1に挑戦した経験を持つホンダにしても、乗る人を限定できない市販の高性能スポーツカーの開発では迷うところがあったようだ。一方、モータージャーナリストといわず日本のユーザーにとっても、NSXのような本格的かつ高性能なスポーツカーが自国から生まれる経験は数少ない。きっとこの記事は固唾を呑んで読まれたに違いない。NSXは、悩みと期待と夢を自動車を愛する者たちと共有しつつ誕生したのだ。ホンダだけのものでも技術者のものでもなく、「私たちの」スポーツカーとして生まれたのだ。おそらくNSXの未来は、この延長線上に存在するだろう。つまり、その誕生と成長の喜びをユーザーと共有できたとき、NSXに未来はあるということだ。未来のNSXにとって性能やスタイリングは、二の次である。 |
初めてNSXのステアリングを握った日のことは、今も鮮烈に記憶に残っている。5年以上も前のその日、カーグラTVの取材で栃木のホンダ・テストコースでいきなり対面することになったこのスーパースポーツは、すべてにわたって新鮮であり、むしろ意外性ともいうべき格別な手応えを見せてくれたからである。意外なまでの扱い易さの内に意外なまでの高性能が同時に存在し、これはもはや普通のスポーツカーではないことが強く印象づけられたのだ。
その後、フェラーリ348tbとこのNSXを対峙させた時も、むしろホンダの洗練ぶりが光る場面の方が多かったのだが、その事実が348を短命に終わらせることになってしまったのかと思うと、フェラーリを慕う一人としては実に辛い。そしてタイプRの登場。これも圧巻である。
スポーツカーの行き着く一つの方向、すなわちレーシングカーのフィーリングを惜しみなく与えてくれるものであり、これも意外性と言わずしてなんと言おう。
NSXのオーナーたちは幸せである。多くの方々が所属するクラブのメンバー諸氏は、鈴鹿を走ることもできるし、上原さんと直接話し合うこともできるのだ。オーナーではない私も一度、フィエスタにおじゃましたことがあるが、それは実にイイ雰囲気なのであった。 |
NSX、デビューしてからもう5年もたつのか…。いまだに新鮮なクルマなので意外な感じさえする。
時間の経過をまったく意識していなかったですね。通常ならフルモデルチェンジを受ける時期になっているわけだけど、そんな噂も皆無だし、スポーツカーとしてどんどん熟成が進んでいるようだ。だいたい、4年や5年ごとにフルモデルチェンジをしていると、時代のニーズにクルマをマッチさせるのが主になってしまい、NSXのようなスポーツカーが本質の速さを身につけるのは難しくなってしまうだろう。日本では過去に例がなかったことだが、海外ではポルシェ911やフェラーリのように10年20年といったスパンで徐々に、しかし徹底的にクルマを磨き上げていく姿勢がある。そういったクルマたちは今も、過去のモデルとその変遷、そして未来への期待、希望という魅力に溢れている。
おそらくNSXも彼らのような熟成への長い道のりを歩んでいくのだと思うし、そうあって欲しい。自分のドライバーとしての青春期にこうしたクルマが存在してくれたことをとても幸運に思う。できればNSXの変遷の1ページに関わることができればプロドライバーとしての栄誉となるだろうが、残念ながら今のところチャンスに恵まれないでいる。
NSXも僕もまだまだこれからだ。お互いに成熟度の頂点に達したとき、レースでも一緒にできたらドライバー人生の勲章になるだろう。 |
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NSX Press vol.17は1996年3月発行です。
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