復活したGTの祭典

 そうした土壌のもとに、のちにルマンを開催することとなるA.C.O.の前進、“熱狂的な自動車愛好家による小さな集まり”が生まれた。その小さなグループは事故によって非難の的となっていた当時の街道レースを、グランプリという新しい企画で復活させようとしていたA.C.F.(フランス自動車クラブ)に支援を申し出た。そして持ち前の情熱で資金集めから準備に関するさまざまな雑務、自動車の価値を理解してもらうための演説に至るまで精力的に取り組む一方、これまでの街道レース形式を改め、クローズドサーキット形式を提案・実現させたのである。そのサーキットは、ルマン近隣の街、ブロアール・サンカレー、ラフェルテ・ベルナールを結ぶ三角形の周回路で、1周103.18kmもあった。クローズされているとはいえ、まだまだ街道レースの感覚が残っていたのだろう。

 とにかくも1906年、第1回フランスグランプリがここで開催される。しかし2回、3回と開催するうちになぜか盛り上がらず、A.C.F.もフランス自動車業界も興味をなくしていった。そうした状況に不満を持ったA.C.O.は、1911年ついにフランスグランプリを引き継ぐ。そして第1次世界大戦がはじまるまでの3年間、ルマンから放射状に伸びる三角形、1周54kmのサルテ・サーキットでグランプリを開催。そうした歴史的背景により、戦後A.C.F.によって再開されたグランプリは、数多く主催を名乗り出る団体がありながらもルマン主催となったのだ。
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NSX Press vol.16は1995年8月発行です。