復活したGTの祭典

 その一方、1923年に第1回大会が行われたルマンは、市街地コースにほとんど照明設備を置いていない。それは、費用などの問題でなく、当時技術レベルの低かった自動車照明部品の信頼性向上テストを兼ねるという確固とした目的があったからだった。
 もともとルマンはレースに対する一般大衆の興味を復活させることを目的として開催されたレースなのである。そのあたりの経緯を簡単にたどってみよう。自動車のルーツとなる蒸気自動車が乗り合いの交通機関として実用化されはじめた1800年の終わり頃、ルマンに住むアメデア・ボレーという人物が革新的な蒸気自動車をつくり出し、パリとルマン間を当時としては驚異的なスピードである時速15キロで走らせた。さらにボレーの2世紀前にはデニス・パパンという同じくルマンに住む人物が「すばらしいモーターカーを安価で得る新方式」という本を出版してセンセーションを巻き起こしているし、古くルネッサンス時代には、レオナルド・ダビンチがルマン付近のツールという街に滞在した3年間に変速機のデッサンを完成させたという。つまり、ルマンは、黎明期あるいはそれ以前から自動車と深いつながりがあったのである。
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NSX Press vol.16は1995年8月発行です。