押しがけ、夢のマシンはエンジンからして違った。僕のマシンよりはるかに少ない労力で目覚めた。エクゾーストノートも格段に心地よい。左腕を高く掲げてコースイン。数周マシン習熟のためにゆるゆるとラップを重ねる。プラグがカブる前に、全開(僕なりの)を開始する。1コーナー進入、これまでとは風景が異なる、これまで体験したことのない横G!夢のマシンは、まさに何事もなく2コーナーへ。フルブレーキ、クリッピングポイントへステアリングを切る、いつものスピンで悩まされていた冷や冷やの2コーナーも何事もなく・・・。やることなすことのすべてが、この「何事もなく・・・」なのである。楽しい!心のとろけそうな快感、まさに至高のサーキットラン、夢のマシンの凄さは一言につきた。いついかなるシーンでも「何事もなく・・・」である。確かに、夢のマシンといえど、タイクアタックしていけば悪戦苦闘に至るわけだが、楽しさ、心のとろけそうな快感、まさに至高の・・・は、当時の僕の腕には充分すぎるほど約束されていた。
カートから降り立った時の疲れも極上のもので、最上のワインの酔心地とでもいえそうな心地良さだった。これまでの悪戦苦闘はなんだったのだ。俺の青春を返せ、の心境となり、つい、恨みがましい一言をオーナーにぶつける。「初めからこのマシンを勧めてくれたら良かったのに」。「だって、レースにでるなら、あのクラスから始めなきゃ」。「どうせ、すぐ壊すんだから練習用にはあれでいいの」。
この、自信たっぷりの反論に、僕はこう答えた。「もう、レースはやめ。練習もやめ。このマシンでサーキットランだけを楽しむ」。どのみち、レースにでても勝ち目などない、教えるだけ時間の無駄、しかし、そこらの子供相手より商売にはなる・・・、こんな下心でシブシブと僕の相手をしていたショップのオーナーが、嬉しさを隠しきれず口のはしをゆがめたのは言うまでもない。
その後、大いに愉快で快適なカートライフを楽しんだ。僕の夢のマシンは、ときには僕が過去乗っていたマシンに追い越されもしたが、そうした乗り手のサーカス的技量をうらやましいと感じたことは一度もなかった。そして、僕の腕も確実に上がり彼らに追い越されることはなくなったが、コーナリング速度の飛躍的向上とともに、右の肋骨にひびがはいるようになり、“全治・コーナリング・ひび”を何度か繰り返すうち、カートライフの断念を余儀なくされた。
いまカートはサイドポンツーンなどが付加されているが、その基本スタイルは不変である。しかし、性能は確実に進化しているようだ。きっと、あの頃よりもっともっと楽しくなっているのだろう。
|