先進、それは至上の歓び

実用より、人かドライビングを楽しむためにつくられたスポーツカーは、進化をためらってはいけないと思う。サーカス的技量を必要とするスポーツカーは、過去の遺物でしかない。苦労に苦労を重ねる過程を人に強いる車が、過去も現在も果たしてスポーツカーと呼べるのだろうか。
プアマシンで悪戦苦闘した僕は声を大にして、こう叫びたい。スポーツカーとは緊張ではない、解放である、と。僕がサーキットで堪能した先進のカートが秘めていた性能は、緊張(=苦痛)ではなく、解放(=至上の喜び)だった。その剛性バランスに富んだ至高のシャシーは、無上のサンペンションとなって僕の技量を格段に高め、肋骨にひびがはいるという信じられないコーナリングドラマを僕にプレゼントしてくれた。そして、ブレーキも感動的だった。ドライビングの快感は揺るぎない信頼がもたらすものであることを知った。
公道を走るドライビングエンジョイマシンたるスポーツカーは、カートに比べ数十倍、数百倍も複雑である。並の技術では、夢想すらできない。現代において真のスポーツカーをつくり得る者、それは先進の技術を有する者ではないだろうか。そして、歳月とともに技術が進歩し、もっと新しい技術が生まれたらそれをためらうことなく採り入れるべきだろう。伝統を身につけると、人も企業も保守的となり大胆な変化を嫌う。新技術も生まれにくい環境となる。確かに、スポーツカーは、そのスタイリングに伝統を残し続けるのは王道といえる。しかし、本能を刺激するその陶酔のボディの下には、至上の歓びわ確約する先進の機構が欲しい。NSXはそんな夢をかなえてくれた、新たな時代のスポーツカーである。デビューから5年。この5年の月日には、新技術を誕生させるに十分の歳月であったはずだ。数十年来、スポーツカーに触れ、その魅力を誌面を通じて伝えることを仕事としてきた僕にとって、新たなムーブメントの波上にあるNSXの進化は、いまもっとも興味深いことがらのひとつである。

(真野 競)



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NSX Press vol.15は1995年3月発行です。