クレマーはNSXに新たなる夢を託した。

1980年以降もクレマー・ポルシェのルマン挑戦は絶えることなく続き、K3/K2、そして962シリーズは常に好成績を手堅く記録してきている。そして今年も1台のK8と呼ばれる962ベースのプロトタイプだけでルマンにチャレンジするはずであった。
しかし'93年の暮れも押し迫った12月のある日、アーヴィンとマンフレートのクレマー兄弟はとてつもなく重大な決意を迫られることになる。それはルマンだけに限っても1970年以来、24年間にわたって一筋に走らせてきたポルシェをいきなりホンダに換えるという、途方もないものであった。ホンダのモータースポーツ男の一人、橋本健との出会いがそのきっかけとなったようだが、クレマー兄弟自身、すでにドイツADAC・GTカップレースで活躍するNSXの資質に魅せられていたところであり、それがポルシェとの決別というよりはむしろホンダとの大いなる接近を果たすことになったに違いない。
アーヴィン自身が2000ccの911でレースを始めてからもはや30余年も経つが、そんな感傷に耽っている余裕はない。何をおいても最初になすべきことは今年のルマンを戦うことなのだ。ドイツのクレマーと日本のホンダ、そしてイギリスのTCPとの間で計画が実際にスタートしたのは年が明けてからのことだった。それでもルマンNSXプロジェクトは着実に進行し、計画した3台のうちの1台だけは5月8日のテストデイにどうにか間に合ったし、6月第2週のルマン・ウィークには3台揃ってサルテの地を踏むことができたのはご存知のとおりである。そして初めてのクレマー・ホンダは、決して好成績ではなかったけれども3台すべてが過酷な24時間を走り切るのに成功した。専用に開発したミッション系にトラブルは生じたものの、VTECパワーのエンジンは何ら問題なく、高速における操縦性にドライバーから多大な評価を得、ハードの信頼性を証明したという意味だけでなく、この成功の意義は大きい。NSXでルマンを闘うということにクレマー自身が敢然と情熱を燃やしはじめ、ホンダとしても“次ぎ”への大きな足掛かりを掴んだことになる。
かつて、我が国にモータースポーツという言葉がまだ存在しなかった時代に、ホンダはバイクのメッカ、マン島を目指した。以来、F1を頂点とする多くのフォーミュラにもチャレンジし、ことごとく成功を収めてきた。そのホンダにして初めてのルマンとは、いささか遅きに失したのではないかという声もあるだろうが、NSXというホンダ初のスーパースポーツの成功があればこそ、その格好の舞台となるルマンへの道が開けたのである。クレマーという最良のパートナーを得たとはいえ、この先の道は決して近くはあるまいが、ホンダはきっと自ら定めた最終目的地に到達することだろう。ついにホンダを選ぶことになったクレマーもそれを確信したがためにこの決断を下したに違いない。

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NSX Press vol.14は1994年8月発行です。