強力なブガッティ・ファクトリー・チームが、ライバル視するアルファ・ロメオ2.9リットルに対抗すべく1937年に送り込んだのがこのタイプ57S 3.3リットル。当時としては驚くべき進歩的なストリームライン・ボディを架装したこのクルマは、“タンク”と異名をとり、注目を集めた。そして、平均時速は136.997km/h、走行距離は3200kmを超える3287.938kmの新記録で優勝も果たした。ブガッティの傑作タイプ57をベースにしたシャシーに直列8気筒DOHC3257ccを載せている。フロントサスペンションは、スライディングブロックと半楕円リーフ、ド・ラム製アブソーバーを組み合わせた独特の構造。両フェンダー前方にブレーキ冷却用のエアインテークがある。この角度から、“タンク”は一番美しく見えたという。

1949年、大戦後初のルマン。さすがにファクトリーチームの参加は少なかったが、復活を喜ぶエンスージアストにより49台もの出走車が集まった。この大会から、戦後の事情を考えて、カタログに載ったモデルだけでなく、いわゆるプロトタイプの参加が追認された。そして、のちに「スーパーアメリカ」の名で輸出されることになる、このフェラーリの2リットルマシンが優勝を決め、フェラーリにルマン初の栄冠をもたらした。この車の非常に洗練されたボディーラインは、世界的に認められようとしていたイタリアン・スタイルを先駆けている。また、この大会の追加条項が、後の“プロトタイプ”のみの先陣競争を生みだすことになる。

1951年、アストンマーチンDB-2。この年3台出走したDB-2は、2.6リットルエンジンながら、3.4リットルを積んで優勝したジャガーと2位のタルボ4.5リットルに次ぐ成績で3、4、5位を占めた。イタリアン・スタイルにイギリス独特の重厚・優美な雰囲気をたたえたボディも、6気筒エンジンも、ほとんど標準仕様のままである。フェンダーごと大きく前に開くボンネット方式は、このDB-2が先駆けとなっている。ちなみに、優勝したジャガーXK120は、平均時速150.466km/h、走行距離は3611.193kmで、両方とも従来の記録を大きく上回るものだった。

メーカーは、プロトタイプをレースで活躍させる一方でのユーザーメリットとして、レースカーに近いものを生産・販売している。このジャガー“Dタイプ”もそうしたマシンのひとつ。格段に空力性能を追求し、3組の力強いウェーバー・ツインチョークを装備。特徴的なテールフィンの構造を見ても、この車が力作であることがわかる。1954年、ジャガーはこの強力な新鋭マシン“Dタイプ”の一群を送り込み、栄光獲得をめざしたが、結果的には、最後の追い込みがきかず、わずか5kmの差で、フェラーリ(4.9リットルマシン、平均時速169.215km/h、走行距離4061.15km)に勝利を譲ることになった。ゼッケン12番のステアリングを握るのは、スターリング・モス。結果はリタイヤ。


back  next

NSX Pressの目次へNSX Press Vol.14の目次へ