僕のWGPへの第一歩は、1958年と翌59年に全日本クラブマン・レースで優勝したこと。この優勝のおかげで、WGPにチャレンジするためのライダーを探していたHondaの目に留まり、Honda スピード・クラブ(Hondaワークス・チーム)の一員になれたんです。
Honda スピード・クラブは、いつも遠くから見ていた憧れの存在だったので、まさか自分がなれるとは思ってもいなかったですね。そんな現実味のない感じで、WGPにチャレンジすることになったんです。
デコボコの砂利道をオート三輪が走っている時代のことで、まだ日本にロードレースのサーキットはありませんでした。Hondaの荒川テストコースは長い直線だけなので、コーナリングのテストができないんですよ。
それでも僕は、突っ込み勝負のバイクレースは、大和魂と度胸のある日本人の方が、外国人より速いと思っていました。でも、度胸だけではレースに勝てないんですよ(笑)