Honda モータースポーツ MotoGP 〉Honda 250ccクラス 通算200勝の軌跡
Honda 250ccクラス 通算200勝の軌跡
高橋国光
 うれしいですね。ドイツGPでHonda 250ccクラス通算200勝目を達成したのが、僕と同姓の高橋裕紀くんなので、ついつい顔がほころびます。

 僕がHonda 250ccクラス初勝利を挙げたのは、1961年の西ドイツGP。今から45年前です。WGPデビュー4戦目の僕が勝てたのは、本田宗一郎さんをはじめ、研究所や製作所のみんなが一丸となって勝利に向かったおかげ。「センターポールに日の丸を揚げるんだ」という、みんなの力とマシンに助けられたラッキーな勝利でした。

 裕紀くんはドイツGPの前から、あと1勝で通算200勝になることを知っていました?

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1961年、高橋国光氏(左)はドイツGPで初勝利を挙げた。同時に日本人初の快挙でもあった
高橋裕紀
 はい。チームメイトのアンドレア・ドヴィツィオーゾがカタルニアGPで優勝したとき、リリースに通算199勝目と書かれていたので。そのリリースには、初優勝ライダーが国光さんだとも書いてありました。

 おかげで、パドック中の人から「国光さんは、お前の家族なのか?」と聞かれましたよ。特にチームメカニックは「1勝目が高橋なんだから、200勝目は絶対にお前が挙げろ」なんて言うんです。でも、そのときは漠然とした話で、あまり実感はありませんでしたね。

 ドイツGPのレース中も、ただ自分が勝つことしか考えていませんでした。1位でゴールしてピットに戻ったら、クルーが通算200勝記念Tシャツを持っていたので、「あ、そうだった」と思い出したんです。


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高橋裕紀選手は第10戦ドイツGPで200勝記念シャツを手に表彰台に上った
国光
 僕が1勝目を挙げたホッケンハイム・リンクも、裕紀くんが200勝目を挙げたザクセンリンクも、同じドイツのサーキット。何だか運命的なものを感じます。

 それに、僕が現役引退を前に久々にエントリーした1999年の「もて耐」に、プロを目指していた裕紀くんもエントリーしていたんだよね? 入れ替わるようにプロライダーになった2人が、Honda 250ccクラスの1勝目と200勝目のライダーなんだから、本当におもしろい縁だよね。

 
裕紀

 あのもて耐に、僕は青山周平くんとペアを組んで出場したんです。そのとき、たまたま国光さんが同じピットにいて、父が「高橋国光さんだ!」と驚いていました。僕も国光さんが優しく声をかけてくださったのがうれしくて、印象に残っています。