1988年、GPにはひとりのスーパー・ルーキーがやってきた。80年代中盤に一時的にワークス活動を休止していたスズキの活動再開に合わせて、エースライダーに迎えられたケビン・シュワンツというアメリカ人ライダーだ。
前年に腕試しの意味合いでGP500ccにスポット参戦したシュワンツは、独特のライディングスタイルでロデオのような破天荒な走りを見せ、GP関係者の間ではひとしきり話題になっていた。そのシュワンツがGPフル参戦を開始したのがこの年であり、正式デビューが開幕戦の日本GPだった。
日本ではほとんど知られていなかったこのやせ型・長身のライダーが、V型4気筒エンジンを搭載するスズキのニュー500ccマシンと共に真っ白にカラーリングされ、そこに大きく赤と青のペプシカラーをあしらった姿は、それまでのGPで見たことのない“異形”だったと言ってもいい。
そして、500ccのチャンピオンを獲得したことで日本のレースファンの間での人気も最高潮に達していたワイン・ガードナーが、誰よりも目立つこの奇妙な新人を相手に手こずるとは、鈴鹿にいたほとんどの人間は考えもしなかっただろう。しかし、日本GPの3週間前に行われたアメリカのデイトナ200マイルスーパーバイクレースで、シュワンツは独走優勝しており、そのラップタイムは彼の走りがGPのトップライダーと同レベルである事をはっきりと物語っていた。
対してガードナーもシーズン前の鈴鹿のテストでベストタイムを更新しており、事情通にとっては、このベテランとルーキーの対決は興味の的でもあった。しかし、予選は雨となってしまい、その実態を不透明なものとしていた──予選トップは丹念に雨のセッティングを探っていったヤマハの平、これに同じヤマハで3度の500ccチャンピオンを獲得したエディ・ローソン、シュワンツ、雨のセッティングに手こずったガードナーと続いた。
果たして決勝日の天候は晴れ。スタートから飛び出したシュワンツとそれを追うガードナーは、2周目に後続を引き離し始めるとレース終盤まで文字どおりの一騎打ちを展開する。リーンアウトに立てた長身のその両足の間でマシンを左右に振り回すシュワンツ、リーンイン気味に入れ込んだ上体でマシンを押さえつけていくガードナーという、まったく異なったライディングの対決は、柔と剛、あるいは新人とチャンピオンが演じる異種格闘技戦のイメージだった。
パワーで分のあるNSRに乗るガードナーが前に出れば、タイトコーナーの進入やS字の切り返しでは恐ろしく鋭い動きを見せるシュワンツが前に出る。数周ごとに順位を入れ替えながら、マシンやライディングの限界付近で演じられる格闘──これがGPの戦いだと言わんばかりのレースに観客の目は釘付けになる。
ガードナーがトップに出れば執拗にこれを追い回し、自分がトップに出れば何度も後を振り返りガードナーの姿を確認しながら、時としてラインを大きく乱すようなシュワンツの走りは、ルーキーのフレッシュな走りそのものだった。その意味では、ベテランのガードナーは余裕を残して虎視眈々と最後の逆転を狙っていたとも思える。
ところが最終ラップ、ガードナーのマシンはキャブレターの不調によって瞬間的にコントロールを失い、シュワンツ追走中のスプーンカーブでオーバーランしてしまう。激しく振られるマシンを何とか立て直したガードナーだが、シュワンツははるか前方へ走り去っていた。こうしてシュワンツは劇的なGP初優勝を飾った。
観る者誰をも熱狂させたこのバトルの影で、ふたつの出来事があった。ひとつはHondaで83年と85年に500ccチャンピオンに輝いた“天才”フレディ・スペンサーの引退が表明された事(ただし翌年にヤマハでカムバックする)。もうひとつは、そのスペンサーのいわば後輩で、なおかつアメリカにおけるシュワンツのライバルであったウェイン・レイニーが、シュワンツ同様にこの日本GPでヤマハに乗って500ccデビューを果たし、6位に入賞した事だ。
この新旧アメリカ人ライダーの交替とシュワンツの初優勝は、その後数年に渡るGPでのアメリカ人ライダーの超絶なテクニックによる高レベルな戦いを暗示していた。
すでに180psに達しようとしていた2ストロークエンジンのパワーは、それを操る人間やタイヤの限界を超えようとしていたと言ってもよく、そんなマシンの性能を使い切って戦えるライダーは限られた存在になりつつあったのだ。この事は翌89年の日本GPにおける500ccの戦いで、顕在化する事になる。
この年、鈴鹿で展開されたシュワンツとレイニーのバトルはGP史上に残る名勝負であり、その場で彼らの走りを観た者は驚愕するしか術がなかった──前年の日本GP優勝で一躍スターライダーとなったシュワンツに対し、レイニーはその知名度や戦い方で少々地味な存在だったものの、88年の鈴鹿8耐での優勝、その後のGP初優勝と500ccランキング3位が彼の実力を証明していた。
89年の日本GP、予選2番手から絶妙なスタートダッシュで飛び出したレイニーは、4周目には2位グループに3秒近い差をつける。その後続グループから抜け出したシュワンツがレイニーを追い、恐怖にも似たスリリングな戦いが展開される。
シュワンツが6周目に予選トップタイムを上回るスピードを記録し、10周目のシケイン進入でレイニーをかわしトップへ浮上。13周目には再びレイニーがトップに立つ。
高速コーナーでホイールスピンしているのか、ユラユラとむずかるように危うく動き続けるふたりのマシン。立ち上がりで長く尾を引くブラックマークによって、周回ごとにどんどん黒く染まっていくコーナーリングライン。コーナー進入では左右に暴れるマシンをものともせず、お互いに一歩も譲らずにマシンがぶつかるかと思わせるほどの進入合戦。
レース中盤には3位以下に20秒以上の差を築いてもなお、ふたりのペースが落ちる事はなかった。まさに薄氷を踏むようなギリギリのバランスで成り立っているようなデスマッチは、観る者が言葉を失うほどの緊張感をまき散らしながら延々と続いた。
最終ラップ。1コーナーでシュワンツがレイニーをインからかわすと、そのままレイニーの追撃を振り切って日本GP2連勝を勝ち取った。ふたりの差はコンマ43秒。ヤマハからHondaに乗り換えて3位となったローソン(この年チャンピオン獲得)との差は実に30秒以上。4位のガードナーは約35秒遅れだった。
その後、このふたりの戦いは5年に渡って続き、レイニーは1990年~92年に3年連続で、シュワンツは93年にチャンピオンを獲得する事となる。
なお、1989年からは日本GPで125ccも開催されるようになり、この年のレースでは前年に実施された単気筒レギュレーションに合わせて開発されたHondaの市販レーサーRS125Rに乗るライダーが上位10位を独占した。
優勝したのはGPで先行開発を担ったエッチオ・ジアノーラで、2位を激しく争ったのは前年からGPフル参戦を開始していた畝本久と高田孝慈という日本人ライダーだった。
1位 | ケビン・シュワンツ | スズキ | 50分03秒750 |
2位 | ワイン・ガードナー | Honda | 50分12秒130 |
3位 | エディ・ローソン | ヤマハ | 50分16秒470 |
4位 | ニール・マッケンジー | Honda | 50分19秒530 |
5位 | 平 忠彦 | ヤマハ | 50分40秒130 |
6位 | ウェイン・レイニー | ヤマハ | 50分45秒820 |
7位 | ケビン・マギー | ヤマハ | 50分45秒920 |
8位 | クリスチャン・サロン | ヤマハ | 50分48秒930 |
9位 | ディディエ・デ・ラディゲス | ヤマハ | 51分04秒960 |
10位 | 八代 俊二 | Honda | 51分14秒30 |
11位 | 宮城 光 | Honda | 51分19秒950 |
12位 | ロン・ハスラム | Honda | 51分23秒790 |
13位 | パトリック・イゴア | ヤマハ | 51分33秒280 |
14位 | ピエール・フランチェスコ・キリ | Honda | 51秒42分730 |
15位 | 樋渡 治 | スズキ | 51分46秒290 |
1位 | アントン・マンク | Honda | 47分14秒260 |
2位 | シト・ポンス | Honda | 47分14秒880 |
3位 | 小林 大 | Honda | 47分15秒430 |
4位 | ジャック・コルヌー | Honda | 47分19秒230 |
5位 | ジョン・コシンスキー | ヤマハ | 47分19秒830 |
6位 | ファン・ガリガ | ヤマハ | 47分20秒570 |
7位 | ジャン・フィリップ・ルジア | ヤマハ | 47分21秒590 |
8位 | 本間 利彦 | ヤマハ | 47分23秒820 |
9位 | カルロス・カルダス | Honda | 47分29秒690 |
10位 | 田口 益充 | Honda | 47分33秒430 |
11位 | 菊池 正剛 | Honda | 47分33秒620 |
12位 | 難波 恭治 | ヤマハ | 47秒34分430 |
13位 | カルロス・ラバード | ヤマハ | 47分35秒250 |
14位 | 山本 陽一 | Honda | 47分43秒30 |
15位 | 田村 圭二 | ヤマハ | 47分45秒210 |
1位 | ケビン・シュワンツ | スズキ | 48分48秒370 |
2位 | ウェイン・レイニー | ヤマハ | 48分48秒800 |
3位 | エディ・ローソン | Honda | 49分19秒50 |
4位 | ワイン・ガードナー | Honda | 49分23秒560 |
5位 | ケビン・マギー | ヤマハ | 49分24秒790 |
6位 | ニール・マッケンジー | ヤマハ | 49分27秒910 |
7位 | クリスチャン・サロン | ヤマハ | 49分36秒850 |
8位 | 平 忠彦 | ヤマハ | 49分36秒910 |
9位 | 藤原 儀彦 | ヤマハ | 49分57秒650 |
10位 | 伊藤 真一 | Honda | 49分57秒650 |
11位 | ババ・ショバート | Honda | 50分07秒360 |
12位 | ロン・ハスラム | スズキ | 50分12秒250 |
13位 | 八代 俊二 | Honda | 50分14秒50 |
14位 | フレディ・スペンサー | ヤマハ | 50分14秒380 |
15位 | 町井 邦生 | ヤマハ | 50分17秒850 |
1位 | ジョン・コシンスキー | ヤマハ | 46分04秒290 |
2位 | シト・ポンス | Honda | 46分05秒310 |
3位 | ルカ・カダローラ | ヤマハ | 46分11秒60 |
4位 | 本間 利彦 | ヤマハ | 46分11秒60 |
5位 | ジャン・フィリップ・ルジア | ヤマハ | 46分18秒420 |
6位 | 岡田 忠之 | Honda | 46分27秒290 |
7位 | 塩森 俊修 | ヤマハ | 46分39秒930 |
8位 | カルロス・カルダス | Honda | 46分39秒990 |
9位 | ジャック・コルヌー | Honda | 46分43秒980 |
10位 | ファン・ガリガ | ヤマハ | 46分45秒560 |
11位 | ジム・フィリス | Honda | 46分48秒170 |
12位 | ヘルムート・ブラドル | Honda | 46分50秒780 |
13位 | 清水 雅弘 | Honda | 46分57秒30 |
14位 | ディディエ・デ・ラディゲス | アプリリア | 46分57秒290 |
15位 | 新井 純也 | Honda | 47分07秒460 |
1位 | エッチオ・ジアノーラ | Honda | 39分20秒640 |
2位 | 畝本 久 | Honda | 39分41秒770 |
3位 | 高田 孝慈 | Honda | 39分41秒910 |
4位 | 廣瀬 政幸 | Honda | 39分42秒470 |
5位 | 吉田 健一 | Honda | 39分49秒600 |
6位 | 島 正人 | Honda | 39分57秒100 |
7位 | 藤原 優 | Honda | 40分10秒230 |
8位 | 山下 一彰 | Honda | 40分10秒470 |
9位 | 藤山 真一 | Honda | 40分15秒90 |
10位 | 山田 一弥 | Honda | 40分18秒750 |
11位 | ファウスト・グレシーニ | アプリリア | 40分28秒310 |
12位 | ルイス・ミルトン | Honda | 40分30秒210 |
13位 | アラン・スコット | Honda | 40分45秒820 |
14位 | ルイス・ミゲール・レイヤス | Honda | 40分45秒910 |
15位 | アディ・スタッドラー | Honda | 40分46秒180 |