高速バトルと日本人ライダーの台頭

1987 1988 1994

2年続いた500cc伝説の激闘 | 1988年500cc ワイン・ガードナー(#1)、ケビン・シュワンツ(#34)

2年続いた500cc伝説の激闘

ベテランとルーキーの格闘

1988年、GPにはひとりのスーパー・ルーキーがやってきた。80年代中盤に一時的にワークス活動を休止していたスズキの活動再開に合わせて、エースライダーに迎えられたケビン・シュワンツというアメリカ人ライダーだ。

前年に腕試しの意味合いでGP500ccにスポット参戦したシュワンツは、独特のライディングスタイルでロデオのような破天荒な走りを見せ、GP関係者の間ではひとしきり話題になっていた。そのシュワンツがGPフル参戦を開始したのがこの年であり、正式デビューが開幕戦の日本GPだった。

日本ではほとんど知られていなかったこのやせ型・長身のライダーが、V型4気筒エンジンを搭載するスズキのニュー500ccマシンと共に真っ白にカラーリングされ、そこに大きく赤と青のペプシカラーをあしらった姿は、それまでのGPで見たことのない“異形”だったと言ってもいい。

そして、500ccのチャンピオンを獲得したことで日本のレースファンの間での人気も最高潮に達していたワイン・ガードナーが、誰よりも目立つこの奇妙な新人を相手に手こずるとは、鈴鹿にいたほとんどの人間は考えもしなかっただろう。しかし、日本GPの3週間前に行われたアメリカのデイトナ200マイルスーパーバイクレースで、シュワンツは独走優勝しており、そのラップタイムは彼の走りがGPのトップライダーと同レベルである事をはっきりと物語っていた。

対してガードナーもシーズン前の鈴鹿のテストでベストタイムを更新しており、事情通にとっては、このベテランとルーキーの対決は興味の的でもあった。しかし、予選は雨となってしまい、その実態を不透明なものとしていた──予選トップは丹念に雨のセッティングを探っていったヤマハの平、これに同じヤマハで3度の500ccチャンピオンを獲得したエディ・ローソン、シュワンツ、雨のセッティングに手こずったガードナーと続いた。

果たして決勝日の天候は晴れ。スタートから飛び出したシュワンツとそれを追うガードナーは、2周目に後続を引き離し始めるとレース終盤まで文字どおりの一騎打ちを展開する。リーンアウトに立てた長身のその両足の間でマシンを左右に振り回すシュワンツ、リーンイン気味に入れ込んだ上体でマシンを押さえつけていくガードナーという、まったく異なったライディングの対決は、柔と剛、あるいは新人とチャンピオンが演じる異種格闘技戦のイメージだった。

1988年500cc ワイン・ガードナー(#1)、ケビン・シュワンツ(#34)

パワーで分のあるNSRに乗るガードナーが前に出れば、タイトコーナーの進入やS字の切り返しでは恐ろしく鋭い動きを見せるシュワンツが前に出る。数周ごとに順位を入れ替えながら、マシンやライディングの限界付近で演じられる格闘──これがGPの戦いだと言わんばかりのレースに観客の目は釘付けになる。

ガードナーがトップに出れば執拗にこれを追い回し、自分がトップに出れば何度も後を振り返りガードナーの姿を確認しながら、時としてラインを大きく乱すようなシュワンツの走りは、ルーキーのフレッシュな走りそのものだった。その意味では、ベテランのガードナーは余裕を残して虎視眈々と最後の逆転を狙っていたとも思える。

1988年500cc ワイン・ガードナー(#1)、ケビン・シュワンツ

ところが最終ラップ、ガードナーのマシンはキャブレターの不調によって瞬間的にコントロールを失い、シュワンツ追走中のスプーンカーブでオーバーランしてしまう。激しく振られるマシンを何とか立て直したガードナーだが、シュワンツははるか前方へ走り去っていた。こうしてシュワンツは劇的なGP初優勝を飾った。

1988年500cc 左からワイン・ガードナー、ケビン・シュワンツ、エディ・ローソン

ブラックマークが告げた新時代

観る者誰をも熱狂させたこのバトルの影で、ふたつの出来事があった。ひとつはHondaで83年と85年に500ccチャンピオンに輝いた“天才”フレディ・スペンサーの引退が表明された事(ただし翌年にヤマハでカムバックする)。もうひとつは、そのスペンサーのいわば後輩で、なおかつアメリカにおけるシュワンツのライバルであったウェイン・レイニーが、シュワンツ同様にこの日本GPでヤマハに乗って500ccデビューを果たし、6位に入賞した事だ。

この新旧アメリカ人ライダーの交替とシュワンツの初優勝は、その後数年に渡るGPでのアメリカ人ライダーの超絶なテクニックによる高レベルな戦いを暗示していた。

すでに180psに達しようとしていた2ストロークエンジンのパワーは、それを操る人間やタイヤの限界を超えようとしていたと言ってもよく、そんなマシンの性能を使い切って戦えるライダーは限られた存在になりつつあったのだ。この事は翌89年の日本GPにおける500ccの戦いで、顕在化する事になる。

この年、鈴鹿で展開されたシュワンツとレイニーのバトルはGP史上に残る名勝負であり、その場で彼らの走りを観た者は驚愕するしか術がなかった──前年の日本GP優勝で一躍スターライダーとなったシュワンツに対し、レイニーはその知名度や戦い方で少々地味な存在だったものの、88年の鈴鹿8耐での優勝、その後のGP初優勝と500ccランキング3位が彼の実力を証明していた。

89年の日本GP、予選2番手から絶妙なスタートダッシュで飛び出したレイニーは、4周目には2位グループに3秒近い差をつける。その後続グループから抜け出したシュワンツがレイニーを追い、恐怖にも似たスリリングな戦いが展開される。

シュワンツが6周目に予選トップタイムを上回るスピードを記録し、10周目のシケイン進入でレイニーをかわしトップへ浮上。13周目には再びレイニーがトップに立つ。

高速コーナーでホイールスピンしているのか、ユラユラとむずかるように危うく動き続けるふたりのマシン。立ち上がりで長く尾を引くブラックマークによって、周回ごとにどんどん黒く染まっていくコーナーリングライン。コーナー進入では左右に暴れるマシンをものともせず、お互いに一歩も譲らずにマシンがぶつかるかと思わせるほどの進入合戦。

レース中盤には3位以下に20秒以上の差を築いてもなお、ふたりのペースが落ちる事はなかった。まさに薄氷を踏むようなギリギリのバランスで成り立っているようなデスマッチは、観る者が言葉を失うほどの緊張感をまき散らしながら延々と続いた。

最終ラップ。1コーナーでシュワンツがレイニーをインからかわすと、そのままレイニーの追撃を振り切って日本GP2連勝を勝ち取った。ふたりの差はコンマ43秒。ヤマハからHondaに乗り換えて3位となったローソン(この年チャンピオン獲得)との差は実に30秒以上。4位のガードナーは約35秒遅れだった。

1989年 500cc ミック・ドゥーハン(#27)、ロン・ハスラム(#8)、ワイン・ガードナー(#2)、エディ・ローソン(#1)

その後、このふたりの戦いは5年に渡って続き、レイニーは1990年~92年に3年連続で、シュワンツは93年にチャンピオンを獲得する事となる。

なお、1989年からは日本GPで125ccも開催されるようになり、この年のレースでは前年に実施された単気筒レギュレーションに合わせて開発されたHondaの市販レーサーRS125Rに乗るライダーが上位10位を独占した。

1989年 125cc エッチオ・ジアノーラ

優勝したのはGPで先行開発を担ったエッチオ・ジアノーラで、2位を激しく争ったのは前年からGPフル参戦を開始していた畝本久と高田孝慈という日本人ライダーだった。

1989年 125cc 左から畝本久、エッチオ・ジアノーラ、高田孝慈

1988年3月27日 世界選手権第1戦・第7回日本GP結果

■500cc(22周)
1位 ケビン・シュワンツ スズキ 50分03秒750
2位 ワイン・ガードナー Honda 50分12秒130
3位 エディ・ローソン ヤマハ 50分16秒470
4位 ニール・マッケンジー Honda 50分19秒530
5位 平 忠彦 ヤマハ 50分40秒130
6位 ウェイン・レイニー ヤマハ 50分45秒820
7位 ケビン・マギー ヤマハ 50分45秒920
8位 クリスチャン・サロン ヤマハ 50分48秒930
9位 ディディエ・デ・ラディゲス ヤマハ 51分04秒960
10位 八代 俊二 Honda 51分14秒30
11位 宮城 光 Honda 51分19秒950
12位 ロン・ハスラム Honda 51分23秒790
13位 パトリック・イゴア ヤマハ 51分33秒280
14位 ピエール・フランチェスコ・キリ Honda 51秒42分730
15位 樋渡 治 スズキ 51分46秒290

■250cc(20周)
1位 アントン・マンク Honda 47分14秒260
2位 シト・ポンス Honda 47分14秒880
3位 小林 大 Honda 47分15秒430
4位 ジャック・コルヌー Honda 47分19秒230
5位 ジョン・コシンスキー ヤマハ 47分19秒830
6位 ファン・ガリガ ヤマハ 47分20秒570
7位 ジャン・フィリップ・ルジア ヤマハ 47分21秒590
8位 本間 利彦 ヤマハ 47分23秒820
9位 カルロス・カルダス Honda 47分29秒690
10位 田口 益充 Honda 47分33秒430
11位 菊池 正剛 Honda 47分33秒620
12位 難波 恭治 ヤマハ 47秒34分430
13位 カルロス・ラバード ヤマハ 47分35秒250
14位 山本 陽一 Honda 47分43秒30
15位 田村 圭二 ヤマハ 47分45秒210

1989年3月26日世界選手権第1戦・第8回日本GP結果

■500cc(22周)
1位 ケビン・シュワンツ スズキ 48分48秒370
2位 ウェイン・レイニー ヤマハ 48分48秒800
3位 エディ・ローソン Honda 49分19秒50
4位 ワイン・ガードナー Honda 49分23秒560
5位 ケビン・マギー ヤマハ 49分24秒790
6位 ニール・マッケンジー ヤマハ 49分27秒910
7位 クリスチャン・サロン ヤマハ 49分36秒850
8位 平 忠彦 ヤマハ 49分36秒910
9位 藤原 儀彦 ヤマハ 49分57秒650
10位 伊藤 真一 Honda 49分57秒650
11位 ババ・ショバート Honda 50分07秒360
12位 ロン・ハスラム スズキ 50分12秒250
13位 八代 俊二 Honda 50分14秒50
14位 フレディ・スペンサー ヤマハ 50分14秒380
15位 町井 邦生 ヤマハ 50分17秒850

■250cc(20周)
1位 ジョン・コシンスキー ヤマハ 46分04秒290
2位 シト・ポンス Honda 46分05秒310
3位 ルカ・カダローラ ヤマハ 46分11秒60
4位 本間 利彦 ヤマハ 46分11秒60
5位 ジャン・フィリップ・ルジア ヤマハ 46分18秒420
6位 岡田 忠之 Honda 46分27秒290
7位 塩森 俊修 ヤマハ 46分39秒930
8位 カルロス・カルダス Honda 46分39秒990
9位 ジャック・コルヌー Honda 46分43秒980
10位 ファン・ガリガ ヤマハ 46分45秒560
11位 ジム・フィリス Honda 46分48秒170
12位 ヘルムート・ブラドル Honda 46分50秒780
13位 清水 雅弘 Honda 46分57秒30
14位 ディディエ・デ・ラディゲス アプリリア 46分57秒290
15位 新井 純也 Honda 47分07秒460

■125cc(16周)
1位 エッチオ・ジアノーラ Honda 39分20秒640
2位 畝本 久 Honda 39分41秒770
3位 高田 孝慈 Honda 39分41秒910
4位 廣瀬 政幸 Honda 39分42秒470
5位 吉田 健一 Honda 39分49秒600
6位 島 正人 Honda 39分57秒100
7位 藤原 優 Honda 40分10秒230
8位 山下 一彰 Honda 40分10秒470
9位 藤山 真一 Honda 40分15秒90
10位 山田 一弥 Honda 40分18秒750
11位 ファウスト・グレシーニ アプリリア 40分28秒310
12位 ルイス・ミルトン Honda 40分30秒210
13位 アラン・スコット Honda 40分45秒820
14位 ルイス・ミゲール・レイヤス Honda 40分45秒910
15位 アディ・スタッドラー Honda 40分46秒180