トニー・ボウ 前人未到の10連覇達成

V10's Story

トライアル世界選手権10連覇という、空前絶後の大記録を達成したボウ。そんな彼の強さの秘密を、トライアルジャーナリストの藤田秀二が紐解く。幼少期のエピソードからHondaマシンとの出会い、そしてチャンピオンとなってからの10年間まで、多角的に解説。

Chapter 1. 育まれた強さ(生い立ち)

トニー・ボウの快進撃がスタートしたのは今から9年前、2007年のことだった。同年9月24日、筆者は初の世界チャンピオンを獲得したばかりのボウが住むスペインの実家を訪ね、彼の話を聞くことができた。ボウの幼少期の写真は、そのときに見せてもらったものだ。

バルセロナ近郊のピエラ(Piera)という町で家族と暮らしていたボウは1986年10月17日に生まれ、訪問した当時は20歳だった。同じ名前であるという父親のトニー・ボウがトライアルをしていたことから、ボウは自然にトライアルを始めた。「父親がしていたし、家にトライアルバイクがあったので興味を持ちました。最初にやったのは1人でもできる自転車トライアルでした」(ボウ)。

自転車トライアルに挑戦するボウ

自転車トライアルに挑戦するボウ

幼少期のボウ。姉のジェンマさんとともに

幼少期のボウ。姉のジェンマさんとともに

興味深いのは、ボウ少年が父親をたやすく超えたというエピソードだった。「父はテニスをしていて、トライアルは少しだけやっていました。大会にも出ていたけれど成績はすごく悪かったみたいです(笑)。普通は、父親に勝つまでには時間がかかるように思いますが、僕がトライアルで父に勝つのはすごく簡単でした。父とは友だちみたいな関係で、家族で遊ぶような感じで自由に育てられました」

父親とトライアルマシンに乗るボウ

父親とトライアルマシンに乗るボウ

ボウの自宅での一枚。父親とともに

ボウの自宅での一枚。父親とともに

ボウの母・インマは、若いころに器械体操をしていたという。また、2歳上の姉のジェンマは、自転車トライアルで14歳のときにチャンピオンになったという。スポーツ一家で育ったボウにとって、持って生まれた高い身体能力とともに、家族で楽しいときを過ごした思い出が大切な宝物のようだ。なおかつ、父から与えられた「勝てる」という絶対的な自信が、ボウに勝つことの喜びを覚えさせたであろうことは想像に難くない。ボウの精神的な強さは、幼いころから育まれてきたようだ。

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Chapter 2. 恐るべき強さ(記録)

自転車トライアルの世界選手権に7歳から出場し始めたボウは、8歳のときには世界2位となり頭角を現していた。バイクに乗り始めたのは4歳から。「最初はアプリリア50に乗っていました。本格的にトライアルを始めたのは12歳からで、そのころから世界チャンピオンになりたいと思っていました。16歳になった03年に世界選手権にデビューして、ランキング13位。それから04年に9位、05年に5位、06年に5位、そして07年にチャンピオンになったわけです」。20歳の若さで、ランキング5位から一躍世界王座についたボウ。その07年は9大会(大会によって2日制=2レースと1日制=1レースがある)で合計11レースが行われたが、驚くべきことに、ボウは開幕5連勝を含む9勝をマーク。ライバルのアダム・ラガ(ランキング2位)に敗れたのは2レースのみだった。

2007年の日本GP。この年に初めてタイトルを獲得

2007年の日本GP。この年に初めてタイトルを獲得

2007年の日本GP。表彰台での一幕

2007年の日本GP。表彰台での一幕

その後も、08年は全12レースで7勝=V2。
09年は全11レースで7勝=V3。
2010年は全11レースで7勝=V4。
11年は全11レースで7勝=V5。
12年は全13レースで11勝=V6。
13年は全13レースで7勝=V7。
14年は全12レースで7勝=V8。
15年は全18レースで13勝=V9。

そしてついに16年は、全15レースで12勝=V10。
特筆すべきは勝率の高さ。この10年間の世界選手権大会(アウトドア)におけるレースの回数=合計127レースと、ボウの優勝回数=87勝から導き出される驚異的な数字。それは、なんと約68.5%。つまり7割近い勝率を誇っているのだ。

2009年の日本GPでのボウ

2009年の日本GPでのボウ

2012年の日本GPでのボウ

2012年の日本GPでのボウ

もちろん、ライバルたちも手をこまねいていたわけではない。ボウとのし烈な戦いの末に、ラガは10年間で31勝、藤波貴久は6勝、アルベルト・カベスタニーは2勝、ジェロニ・ファハルドは1勝を、それぞれ挙げている。それでも、ボウ以外で最も勝利を挙げたラガですら、その勝率は約24.4%でボウの半分にも満たない。

さらにボウは、今年の1〜3月に行われたXトライアル(インドアでの世界選手権)で、すでに前人未踏の10連覇を達成している。ボウこそまさに、史上最強のトライアルライダーと言える。

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Chapter 3. 心地よい強さ(テクニック、マシン、チーム、強さの秘密)

ボウ以前にも自転車トライアルの技術をトライアルに生かすライダーはいた。ただ、ウイリー状態でホッピングしてマシンを自由自在に操る“ダニエル”の技を、ボウほど極めた選手はいない。ダニエルでマシンの向きを変え、ダニエルからジャンプして岩などに飛び移る。その飛ぶ距離や高さ、安定度や精度の高さが際立っている。驚異的な瞬発力を生かした走りを、今年の日本GPで目撃した観客の方も多いはず。ボウはとりわけ下半身の強さと豊富な練習量により、彼の武器となる技を10年間研ぎ澄まし、進化させてきた。それだけに、その技は見る者をうっとりさせる。

2014年のイギリスGPでのボウ

2014年のイギリスGPでのボウ

ボウのマシンであるMontesa COTA 4RT。この4ストローク車との出会いがボウの人生を一変させた。10年前、06年までのボウは他メーカーの2ストローク車に乗っていたが、4ストに乗り換えた1年目の07年にいきなりランク5位から世界の頂点へと飛躍した。当時ボウは「4RTは性能が常に安定していて、アクションがしやすい。走りながらのコントロール性がすごくいい。停止状態からの発進は、滑りやすいところは2ストの方が飛びやすいが、グリップがいいところやインドアのセクションでは4ストの方が飛べる」と語っていた。ボウと4ストの相性のよさが彼の走りを進化させ、さらにマシンの進化が彼の強さを不動のものにしていった。そもそもは環境問題から4スト化が進められたが、現在4ストでタイトル争いをしているのはRepsol Honda Teamだけだ。そうした、正統に王道を突き進む心地よさもある。

ボウの愛機であるCOTA 4RT

ボウの愛機であるCOTA 4RT

今や10年来の盟友となったボウと藤波貴久

今や10年来の盟友となったボウと藤波貴久

サポート役のディダックさんらチームの仲間との出会いも、ボウの強さの大きなファクターではないだろうか。シレラ監督をはじめ、04年の世界王者である藤波選手、マシン開発に携わっている全日本王者の小川友幸選手など、よき先輩との切磋琢磨があってこそのV10とも言えるだろう。ボウのV10となった今年は、Hondaにとっては同時に、コンストラクターズタイトルを11年連続で奪取したことになる。強さは憧れ。極めて上質の心地よい強さを、Repsol Honda Teamのトニー・ボウは我々に与えてくれる。幼少期から育まれた彼の“トライアルが楽しくてたまらない”という気持ちが続く限り、偉大な記録はこれからも塗り変えられていくことだろう。

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