マシンの歴史

マシンの歴史

ボウが初めて王者となった2007年。以降、彼が毎年記録を積み重ねていく中で、Hondaのワークスマシンも歩みを止めることはなかった。そして、その進化はV10というかたちで結実した。今回は、トライアルジャーナリストの藤田秀二がマシンの開発現場への取材を敢行。V10の礎となったマシンに秘密に迫る。

「マシンの歴史」を振り返る際、2005年が大きなターニングポイントになる。藤波貴久選手が日本人初のトライアル世界チャンピオンとなった04年、マシンは2ストロークエンジンを備えるHondaのMontesa COTA315Rだった。その翌05年、マシンが4ストロークエンジンのMontesa COTA 4RTへと一変した藤波選手は惜しくもV2ならず、乗り慣れた2スト車で戦うアダム・ラガ選手(ガスガス)に破れる結果となった。06年もラガ選手が2スト車で連覇。だが、07年はトニー・ボウ選手が4ストのMontesa COTA 4RTでついに王座を奪還し、その後も勝ち続けてV10の偉業を達成したのだ。

そもそもトライアル世界選手権を統括する国際モーターサイクリズム連盟(FIM)は、06年から4スト車に完全移行するというレギュレーションを発表。Hondaは他社に先駆けて4スト車を投入したのだが、結果的に他社は2スト車のままで戦い続け、現在も4スト車で参戦しているのはHondaのみだ。2スト車が主流の不利な状況下で、いかにして勝てる4スト車を作り上げていったのか、開発者に話をうかがった。

Interview 1

「ライダーからの要求は無理難題でした(笑)」

滝川 俊直 Toshinao Takigawa 株式会社 本田技術研究所 二輪R&Dセンター

1998年から2ストマシンを開発。
2004〜2009年、2011〜2016年までFI燃料系担当

V10マシンは、新たな4ストロークエンジンであるとともに、トライアル初のFI(電子制御燃料噴射装置)を採用したことが画期的でしたね。

「そうですね、ライダーからの要求は『(乗り慣れた)2ストロークのような4ストロークが欲しい』という無理難題でしたから(笑)。当初はキャブレターをテストしましたが、トライアルならではの姿勢の激しい変化で、エンストが発生しがちといった問題がありましたね。2ストのようなピックアップのよさを出して、4ストのトラクションのよさを生かすためにもFIを採用しました。しかもバッテリーレスという難題も克服して、05年に市販車のRTL250F(エンジン排気量249.1cc)を発売したわけです。05年はその市販車をベースにして、ワークスマシン(排気量286cc)を開発しました。

06年は排気量を298ccに増やすとともに、すべてを変えたことが大きかったですね。特に、ワークスマシン用に新たに開発したECU(エンジンコントロールユニット)は、データロガーを搭載して詳細なデータを集め、ライダーの要求により正確に応えられるようにしました。例えば、普通のエンジンは1回転あたり1回計算していた演算処理を4回と緻密にして、完成度を高めたのです。ドギー・ランプキン選手(※1997年から03年までV7を達成。97年〜99年はベータ、2000年〜03年のマシンは2ストのHondaワークスマシン)と藤波貴久選手、2人のチャンピオンが仕上げたマシンに乗って、ボウ選手は4ストに乗り換えた1年目の07年からチャンピオンに輝きました。『僕はいいマシンに乗れてラッキーだ』と喜んでいたボウ選手のマシンに対する第一印象は、『軽くて、高い段差を上がりやすい』でした」

ECU一体型スロットルボディー。左がワークスマシン用で右が市販車用
ECU一体型スロットルボディー。左がワークスマシン用で右が市販車用

RTL250Fは発売前年の2004年、日本GPにスポット参戦した小川友幸がライディング
RTL250Fは発売前年の2004年、日本GPにスポット参戦した小川友幸がライディング

Interview 2

「ツインプラグの位相点火」

石川 英一 Eiichi Ishikawa 株式会社ホンダ・レーシング

2016年まで25年間、エンジン研究担当

ツインプラグもまたトライアル初の試みで、ライダーのパフォーマンスを高めることに成功したようですね。

「はい、ライダーの要求に応じて排気量を上げていくと、不整燃焼の問題が出てきました。それを解消するために、ツインプラグを研究していた方のアイディアをいただきました。それがうまくいったわけです。2本のプラグを同時点火ではなく、位相点火にすることでフィーリングがよくなり、低回転の燃焼もよくなりました。そもそも燃焼室の形状によって燃焼の仕方は変わってきます。それで、弾けるような燃焼がいいのか、それともまったりとした燃焼がいいのか。それをツインプラグにすると、どこで点火するか、どのタイミングで点火するかによって燃焼の立ち上がりも変わってくるんですよ。2本のプラグのうち1本(メインプラグ)は燃焼室の真ん中、もう1本(サブプラグ)は端の方で点火します。その位置によって燃えるスピードを調整することができ、真ん中から点火するとバッと早く燃えますし、端の方から点火すると時間がかかってまったりとした燃焼になります。

2本点火と1本点火を使い分けるなどさまざまな組み合わせができます。点火パターンはメインだけのシングル点火、サブだけのシングル点火、メインとサブのツイン点火にも同時点火と位相点火があります。選択肢が多いですから、ライダーが望むベストなフィーリングを探し出すのは大変な作業になりましたが、それをマップに書き込みました。それでライダーがゆっくり走りたいときにスロットルをゆっくり開けると、それをモニターしているECUが、そのときに最適な燃焼が、ツイン点火なのかシングル点火なのかをマップに従ってコントロールするわけです」

ツインプラグのヘッド部分
ツインプラグのヘッド部分

ツインプラグと通常の1本プラグの違い
ツインプラグと通常の1本プラグの違い

Interview 3

「ライダーから伝えられたこと」

荻谷 顕 Akira Ogitani 株式会社 本田技術研究所 二輪R&Dセンター

2005〜2009年、2013〜2016年で車体設計担当

2ストから4ストに移行するのは苦労したと思いますが。

「そうですね。世界と日本では移動距離の長さから異なるということがありました。その辺りのことから始まって、ランプキン選手や藤波貴久選手、そしてテストライダーの方々が4ストロークのよさを我々に伝えてくれたことが大きかったですね。例えばステアケース(高い段差)の上がり方も全然違いました。4ストはどちらかといえばステアケースの壁にぶち当たって、そこからトラクションで上がれるのですが。2ストの場合は勢いに任せて上がる感じで。そういう違いも伝えてくれました。

ボウ選手は、2ストに乗っていたころからスロットルをそんなに開けないで走るライダーだったそうで、だから4ストとのマッチングがよかったようですね。ボウ選手はサスペンションについても、最初はランプキン選手が決めた仕様のままで乗っていました。その後、藤波選手の使っていたパーツをボウ選手も使うようになりました。テスト走行で驚いたのは、ボウ選手はほかの選手が行かないようなものすごく高いところを普通に行ってしまうんですね。『そんなことをしたらケガをする』というようなすごいところも、平気で行くんです。本当に、異次元の走りでしたね。

ボウ選手にマシンのことを聞いたら『とにかく、パフォーマンスが安定しているところがいい。(以前に乗っていた2スト車と比べて)エンジンもサスペンションも常に同じ性能を使える』と驚いていました。ボウ選手は、身体能力がものすごく高いんですね。自身が高く跳べます。マシンも軽いほど飛びますから、06年に大幅な軽量化をしておいてよかったなと思いましたね(笑)。なにしろ、ボウ選手の能力はケタ違いで、マシンとのマッチングもすごくよかった。
ランプキン選手がいて藤波選手がいて、ボウ選手がいたから、このマシンが出来上がったと思います。藤波選手は2スト車で04年にチャンピオンになり、05年から4スト車に乗り換えましたから。『なんとかもう1回チャンピオンになれるマシンを!』と、皆の心が一つになりました。05年は開幕戦でランプキン選手が4スト車の初優勝を飾ってくれたことも大きかったですね」

2005年にデビューした4ストロークマシン、Montesa COTA 4RT
2005年にデビューした4ストロークマシン、Montesa COTA 4RT

持ち前の身体能力で走破していく2007年日本GPでのボウ。マシンはこの年に大きく変わった
持ち前の身体能力で走破していく2007年日本GPでのボウ。マシンはこの年に大きく変わった

Interview 4

「クラッチは命、正反対のことを両立させる」

波賀 義隆 Yoshitaka Haga 株式会社 本田技術研究所 二輪R&Dセンター

1991〜2008年まで完成車テスト担当

波賀さんはどんなところで苦労しましたか?

「一番苦労したのは、やはりトラクションですね。滑りやすい路面でスタートするときに、2ストと4ストでは特性が全然違うので。2ストは比較的ラフなスロットル操作でもいいですが、4ストの場合は開けた瞬間に後輪が横滑りするようなことがありました。ライダーが慣れていなかった、ということもあったと思います。それをFIのセッティングをいろいろ試すなどして、よくしていったわけです。

ライダーにとっては、クラッチが命のように大事ですね。その要求がものすごく高いですし、個人差も大きいです。基本的に、マシンをコントロールするのにハーフ(半クラッチ)があった方がいい。それに対して、ジャンプするときにクラッチがバッとつながるダイレクト感も欲しいという。正反対のことを両立させるのが、すごく難しい。クラッチの操作は軽い方がしやすいということですが、そうするとダイレクト感がなくなるということもあって、苦労しました。特に4ストの場合は、クラッチでパワーを逃がすようにしてコントロールすることもあるので、それに応えるクラッチが必要です。ただ、『これだ』という正解はなくて。ライダーのパフォーマンスを上げるために排気量を上げれば、クラッチも変えないといけませんから。"イタチごっこ"のようなところがありますね。クラッチのドライバビリティーというのがありまして、スロットル操作とセットで両立していかないとものにならないんです。どちらが重要ということではなくて、どっちも必要ですから。堂々巡りで、出口のないところに入りやすい(笑)。なにしろトライアルはスロットルとクラッチがセットですし。半クラッチで、つながるかつながらないかのところでコントロールするということ自体が、トライアル特有の難しさですね」

今回集まってくれた開発者の方々。当時の苦労を語りながらも楽しそうなのが印象的だった
今回集まってくれた開発者の方々。当時の苦労を語りながらも楽しそうなのが印象的だった

ツインプラグの新エンジンがデビューした2013年、ボウは全レースで表彰台に登壇した
ツインプラグの新エンジンがデビューした2013年、ボウは全レースで表彰台に登壇した

Interview 5

「1g軽くするために図面を引き直しました」

黒川 雅也 Masaya Kurokawa 株式会社 本田技術研究所 二輪R&Dセンター

2005〜2008年、
2013〜2016年までエンジン設計担当/プロジェクト・リーダー

ツインプラグにするには、重量の問題もあったと思いますが。

「そうですね、ツインプラグでも同時点火ならばイグニッションコイルは1個で、大きめの物を使えばいいのですが。位相点火にするとそれぞれのプラグをずらして点火するのに、イグニッションコイルが2個必要になり、重量が重くなるのが嫌でした。その2つのイグニッションコイルを車体のどこに収めるかという問題もありました。足に当たるなどしてライディングの妨げになることがないように、収める必要がありますからね。ですから、ツインプラグにすると決まった当初は、顔がひきつりました(笑)。結局、2個のイグニッションコイルは車体の左側に収まりました。

1g軽くするために図面を引き直したこともありましたね。例えばエンジンハンガー。フレームに付けるよりもエンジンに付けた方がトータルで1g軽くなる、というようなこともありました。

一年目は排気音の問題もありましたが、これはストレートタイプだったサイレンサーの内部を2室構造にすることによって改善し、同時に乗り味をよくすることができました。

V10という、これだけの成績を残せたのは、やはりHondaが、トライアルを昔からやってきたという歴史的背景のおかげだと考えます。山本昌也選手(※1982〜86年の全日本チャンピオンで世界でも活躍)のときは、空冷の4サイクルマシンでしたし、成田匠選手(※空冷の2サイクルマシンで1990年から世界に挑戦)の走りを見ていた藤波貴久選手が世界に挑戦し、2ストから4ストに乗り換えるという中で、そこに携わってきた人たちが困難を乗り越えて“勝てるマシン”を目指してきた“伝承の集大成”かなと思います」

開発者の努力により、軽量化が進んだCOTA 4RT
開発者の努力により、軽量化が進んだCOTA 4RT

今年V10を達成したボウ。インドアの世界選手権と合わせるとV20となった
今年V10を達成したボウ。インドアの世界選手権と合わせるとV20となった

思えば、1973年に国産初のトライアル車としてホンダバイアルスTL125が発売された当時は、日本のトライアルはまだ始まったばかりだった。それから40年以上が経過する間に、日本で世界大会が開催されるようになり、日本人初の世界チャンピオンが誕生。そしてついに、Hondaが史上初の10連覇を達成した。まさに夢のようなときを迎え、ボウ選手のマシンのベースになった市販車をだれもが手に入れることができる。今後はV10マシンの性能が市販車にフィードバックされ、より多くのライダーが次元の違う走りを味わえるようになることを望むとともに、ワークスマシンのさらなる進化を楽しみにしたい。

文=藤田秀二

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トニー・ボウ 前人未到の10連覇達成