MENU

HONDA

検索
モータースポーツ > Honda Collection Hall 収蔵車両走行確認テストレポート
Honda Collection Hall 収蔵車両走行確認テストレポート

走行確認テスト

2016年10月10日(月・祝) 会場:ツインリンクもてぎ 南コース

Honda Collection Hallでは、収蔵する歴代の製品やレーシングマシンを走行可能な状態に保つ「動態保存」を行っています。その一環として、マシンを実際に走らせる「走行確認テスト」を実施。その様子は一般にも公開しています。 2016年は10月10日(月)の祝日に開催され、多くのHondaファンが見守る中、元Hondaワークスライダーの宮城光さんがマシンの走行確認を行いました。

Honda Collection Hallとは 宮城光プロフィール フォトギャラリー

マシンセレクト

RC116 (1966年)

RC116 (1966年)

タイトル堅守を果たした究極の50ccレーサー

エンジン:空冷 4ストローク 2気筒DOHC 4バルブ
カムギアトレイン
排気量:49.8cc
最高出力:14PS以上/21,500rpm
車両重量:50kg
その他:9段変速、トランジスター点火、キャリパー式フロントブレーキ

Hondaが1962年の世界グランプリ50ccクラスに投入した世界初の4ストローク、2気筒50ccレーサーRC112の最終型。車重は2ストロークマシンより軽い50kgで、最大出力は14PS/21,500rpm、最高速175km/h以上と究極の50ccレーサーにふさわしい存在となった。66年には6戦中3勝。Hondaのメーカータイトル防衛に貢献した。

4RC146 (1965年)

4RC146 (1965年)

2スト勢相手に奮闘した125cc4気筒マシンの最終型

エンジン:空冷4ストローク 4気筒DOHC 4バルブ
カムギアトレイン
排気量:124.9cc
最高出力:28PS/18,000rpm
車両重量:87.5kg
その他:8段変速、トランジスター点火

1963年にHondaが初めて世界選手権に投入した125cc 4気筒マシンの最終型。64年を主戦場としていたアップデート型の2RC146の後継で、出力の向上のためにさまざまな改良が施された。フラットバルブタイプのキャブレターの採用やフリクションロス低減などにより、最高出力は28PS/18,000rpmまで高めた。そして部品の重量軽減も施され、エンジンは1kgも軽量化された。しかし、選手権では2ストローク勢を相手に苦戦を強いられ、65年、日本GPの5位がHonda 125cc 4気筒マシンの最後の成績となった。

RC181 (1967年)

RC181 (1967年)

ラップ新記録を樹立しマン島TTレースを制覇

エンジン:空冷 4ストローク 4気筒 DOHC 4バルブ
カムギアトレイン
排気量:499.6cc
最高出力:85PS以上/12,000rpm
車両重量:151kg
その他:6段変速、トランジスター点火

1966年、当時の世界選手権最高峰である500ccクラスにHondaが初めて投入したマシン。開発は65年の2月から始まり、最初のモデルは449.5ccの総排気量で70PS/12,000rpmを達成していた。しかし、排気量がフルスケールに達していないこともあり、実戦投入されることはなかった。66年に満を持して登場した「RC181」は、エンジンのボアサイズが拡大され総排気量490cc、馬力は80PS以上と当時のクラス最高値を実現。レースでは、ジム・レッドマンとマイク・ヘイルウッドがハンドルを握り5回の優勝。Hondaに初の500ccメーカータイトルをもたらした。第2期のRC181は、排気量を10ccアップさせ499ccに。ヘイルウッドがマン島TTレースで歴史的な勝利を挙げ、数年間は破られなかったラップ新記録を打ち立てる。

RCB1000(1976年)

RCB1000(1976年)

26戦で24勝。不沈艦と呼ばれたチャンピオン機

エンジン:空冷4ストローク4気筒DOHC 4バルブ
排気量:997.48cc
最高出力:120PS以上 / 9,000rpm
車両重量:190kg
その他:5段変速

1976年、Hondaが耐久レースに本格参戦するために開発されたマシン。開発期間は半年足らず。エンジンはCB750 FourをベースにDOHC 4バルブ化。耐久性は「5,000kmノーメンテナンス」を目標とし、10時間の全開運転でも壊れないほどだった。デビューレースでいきなり優勝し、初年度に年間タイトルを獲得。その後も改良が続けられ3年間で26戦24勝。シーズン戦では77年、78年で全戦全勝という圧倒的な戦績を残し、不沈艦の異名でヨーロッパにその名を轟かせた。

RVF750(1991年)

RVF750(1991年)

8耐制覇を至上命令に投入された91年型マシン

エンジン:水冷4ストローク V型4気筒 DOHC 4バルブ
カムギアトレイン
排気量:748cc
最高出力:140PS以上
車両重量:142kg
その他:6段変速、プロアーム

1989年、1990年と鈴鹿8耐2年連続リタイヤの雪辱を果たすべく投入されたのが91年型の「RVF750」だ。エンジンは最高出力140PS以上を誇る水冷V型4気筒ハイパワーエンジンが採用された。RVF750は当時のグランプリマシンに迫る出力に加え、車体の重さを感じさせない軽快なハンドリング性能で、スプリントマシン並みのパフォーマンスを披露。必勝態勢で臨んだ鈴鹿8耐では、Hondaの8度目の勝利に貢献した。

RS125RW-T(1981年)

RS125RW-T(1981年)

モトクロスエンジンを搭載したワークスレーサー

エンジン:水冷 2ストローク 2気筒 リードバルブ
排気量:124.89cc
最高出力:over 40PS/14,000rpm
車両重量:77kg
その他:6段変速

ワークスモトクロッサー「RC125M」ベースの水冷2ストローク2気筒エンジンを搭載したマシン。ベースとなったRC125Mの2気筒エンジンは、全日本モトクロス選手権の車両規定変更にともない、活躍の場を失っていたが、RS125RW-Tによりロードレースの舞台で復活を果たした。1981年の全日本ロードレース選手権に参戦。RS125Rとともに使用されタイトルの獲得に貢献。また、マレーシアインターナショナルレース4戦を戦い、すべてに勝利。2気筒エンジンの高い戦闘力を示した。

RS125RW(2003年)

RS125RW(2003年)

ペドロサの愛機として125ccタイトルを獲得

エンジン:水冷 2ストローク 単気筒
排気量:124cc
最高出力:非公表
車両重量:非公表

2015年に達成した世界選手権におけるHondaマシンの700勝。そのうちの約5分の1にも上る、131勝を挙げたのが市販ロードレーサーRS125R。現在、MotoGP参戦中のダニ・ペドロサ選手が2003年にタイトルを獲得したのもこのRS125R(2003年型)だった。

NSR500(1988年)

NSR500(1988年)

高速化するWGPで幾度となく王座に君臨

エンジン:水冷 2ストローク 90度V型4気筒
ケースリードバルブ
排気量:499cc
最高出力:over 180PS/12,200rpm
車両重量:over 130kg
その他:6段変速

1980年代の世界選手権はシーズンごとに高速化の傾向にあった。84年にHondaが投入したのがV型4気筒の「NSR500」。燃料タンクをエンジンの下、排気チャンバーをエンジンの上に配置する斬新なレイアウトで、デビュー時はマシンが安定しなかったものの、出力は当時トップクラスである150PS以上を記録。85年にはコンベンショナルなレイアウトに変更されたが、12戦7勝でタイトルを獲得。87年、89年にもタイトルに輝くも、Hondaはさらに扱いやすいハイパワーを求め、マシンを進化させた。その後1994〜99年に6連覇を達成するなど、参戦19年のうち、10回の個人タイトル、9回のメーカータイトルの獲得という偉業を達成した。

Honda
RA301(1968年)

RA301(1968年)

Hondaのチャレンジ精神が生んだ新時代の一台

エンジン:水冷 4ストローク90度V型12気筒
DOHC 4バルブ(RA301E)
排気量:2,992cc
最高出力:440PS / 11,500rpm
車両重量:530kg

この年、前年から進歩するために挙げられた懸案の一つが車重だった。「RA300」の車重が610kgに対して、ライバル勢は500kg。大幅な軽量化が必要とされた。モノコック部材をマグネシウム合金に変更し、エンジンに大幅に手を加え、530kgまで落とすことに成功。また、この年から空力時代が幕を開け、RA301にも本格的なウイングが装備された。しかしウイングを支える支柱が折れるトラブルが発生するなど、苦戦も強いられた。第一期F1活動では唯一のポールポジションを獲得するも未勝利。

McLaren Honda
MP4/6(1991年)

McLaren Honda MP4/6(1991年)

ハイパワーV12エンジンでタイトル連覇に貢献

エンジン:水冷 4ストローク 60度V型12気筒
DOHC 4バルブ(RA121E)
排気量:3,498cc
最高出力:735PS以上/13,500rpm
車両重量:505kg
その他:ホンダ可変吸気管長システム(VIS)

1991年、V型12気筒エンジンを搭載し、シーズンを戦ったのが「MP4/6」。理想的なパワーバンドを実現するために可変吸気システムを採用。また以前までのV10エンジンより5.5kgも軽く、最高出力735PS以上のハイパワーを実現した。そしてMP4/6の最大の特徴はこれまでのMP4シリーズで採用されていたプルロッド式のフロントサスペンションを、プッシュロッド方式に変更したこと。これによってシャシー剛性とエアロダイナミクスの向上が図られた。開幕戦ではアイルトン・セナがポール・トゥ・フィニッシュを達成。続くブラジル、サンマリノ、モナコと、当時の新記録である4連勝を達成。シーズンでも7勝を挙げ、自身3度目のタイトルに輝いた。またHondaにとって、ウィリアムズ時代から続く、6年連続のコンストラクターズタイトルにも貢献した。

Lotus Honda
100T (1988年)

Lotus Honda 100T

中島悟とともに日本のF1界に名を刻んだマシン

エンジン:水冷 4ストローク 80度V型6気筒
DOHC 4バルブ ツインターボ(RA168E)
排気量:1,494cc
最高出力:685PS/12,300rpm
車両重量:540kg
その他:Honda PGM-FI(電子制御燃料噴射装置)

1988年、F1のターボ時代最後の年に投入されたLotus Honda 100T。前年の「99T」に投入された電子制御の“アクティブ・サスペンション"は熟成が進まず不採用。コンベンショナルなマシン開発が行われた。しかしパワーユニットは当時最強と言われた1.5リッター V6ターボを搭載。圧倒的な成績こそ残せていないものの、開幕戦、第2戦の連続3位など上位入賞を果たし健闘。そんな中、日本人ドライバー中嶋悟のドライブによって日本GPで残した予選6番手、決勝7位という記録は、日本のF1界に名を刻むものであった。