モータースポーツ > Honda Collection Hall 収蔵車両走行確認テストレポート
Honda Collection Hallでは、収蔵する歴代の製品やレーシングマシンを走行可能な状態に保つ「動態保存」を行っています。その一環として、定期的にマシンを実際に走らせる「走行確認テスト」を実施。その様子を一般公開しています。 今年の走行確認テストは、2015年8月25日(火)にツインリンクもてぎ南コースで開催され、元Hondaワークスライダーの宮城光さんが全9台のマシンの走行確認を行いました。
1966年の世界選手権125ccクラスに投入され、2ストローク勢が台頭した前年に奪われたタイトルを奪還。高出力・高回転を極めた4ストローク並列5気筒エンジンは、わずか125ccで最高出力34PS/20500rpm、8段変速により最高時速210km以上という、圧倒的な性能を誇った。
ルイジ・タベリが駆り10戦5勝を達成し、125ccクラスのライダー、メーカーの両タイトルを獲得。この年、Hondaは世界選手権全5クラス*制覇という快挙を達成した。
*50cc/125cc/250cc/350cc/500cc
1989年の全日本ロードレース選手権500ccクラスに投入されたNSR500。宮城光が駆り、4戦連続で表彰台に上がるなど安定したパフォーマンスを発揮し、年間で4位にランクインした。
同年のNSR500は、絶対的なパワーよりも扱いやすさが徹底的に重視された。ライダーの好みやサーキットの特性に合わせ、異なるフレームを投入するといった異例のマシン開発が行われ、世界選手権においてはエディ・ローソンが駆るNSR500が、前年に奪われたタイトルを奪還した。
1993年、全日本ロードレース選手権250ccクラスで活躍していた岡田忠之が、世界選手権250ccクラスに念願のフル参戦を果たした際のマシン。この年は 、ロリス・カピロッシやマックス・ビアッジ、青木宣篤といったライダーもNSR250を駆り、14戦7勝をマーク。Hondaはマニュファクチャラーズタイトル3連覇を達成した。
また岡田をはじめ、93年シーズンは日本人ライダーが大躍進。岡田の最大のライバルでもあった原田哲也がヤマハのTZ250Mを駆り、ライダーズタイトルを獲得するなど世界に日本人旋風を巻き起こした。
1999年の鈴鹿8耐で、岡田忠之/アレックス・バロス組が駆り優勝したRVF/RC45。この年は断続的に雨が降る難しいコンディションとなったが、同ペアは安定した走りをみせ、Hondaに8耐3連覇をもたらした。
VFR750R/RC30に続く新たなV型4気筒マシンとして、94年に8耐デビューしたRVF/RC45は、初年度から圧倒的な強さを誇り、通算で6戦5勝を記録。そして真っ赤なラッキーストライクカラーの99年モデルが、Hondaワークスとしての最後の8耐V4マシンとなり、2000年からはV型2気筒のVTR1000SPWへと切り替わった。
1984年、Honda第2期F1において初優勝したウィリアムズHondaが、86年に投入したのがウィリアムズHonda FW11。加熱した馬力競争を抑えるため、燃料使用量が前年の220リッターから195リッターへ引き下げられたが、Hondaは燃費性能の向上はもちろんのこと、1000PSにも達する1500ccターボエンジンを開発した。
ナイジェル・マンセルとネルソン・ピケのコンビが操り、マンセル5勝、ピケ4勝で計16戦9勝という強さをみせ、ついにHonda初となる念願のコンストラクターズタイトルを獲得した。
1988年、ターボエンジン最終シーズンに投入されたロータスHonda 100T。前年型の99Tで採用した、電子制御で走行時の車高を一定に保つ“アクティブ・サスペンション”は、革新的だったが熟成不足が否めず、100Tでは従来の仕様に変更された。
タイトル争いに絡むことはなかったが、最終戦オーストラリアGPでは、ネルソン・ピケが3位入賞、マクラーレンHondaのアラン・プロスト、アイルトン・セナとともに、シーズン2度目のHondaエンジンによる1-2-3フィニッシュを達成。1.5リッターターボ時代の幕引きとなるレースをHondaエンジンが華やかに締めくくった。
新型のV型12気筒エンジンを搭載し、1991年シーズンを戦ったMP4/6。さらなる高回転・高出力を狙って開発されたV12エンジンは、それまでのV10エンジンより5.5kgも軽く、最高出力700PS以上のハイパワーを発揮した。
アイルトン・セナは開幕戦のアメリカGPでポール・トゥ・フィニッシュを達成。続くブラジル、サンマリノ、モナコと、当時の新記録である4連勝を含む、シーズン7勝を挙げ、自身3度目のワールドチャンピオンに輝いた。また、コンストラクターズタイトルを4年連続で獲得。Hondaにとって、ウィリアムズ時代から通算して6年連続の栄冠となった。