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Honda Collection Hall収蔵車両走行確認テストレポート

Honda Collection Hallとは

ツインリンクもてぎの敷地内にあるHonda Collection Hallは、創業者である本田宗一郎の「製品は嘘をつかない。ほんとうにいいものなら、必ず成功するんだ」、「Hondaのみんなが何を考えてつくってきたか。みんなのつくったものを皆さんにお見せすればいい。こんな正直なHondaはどこにもないぞ」という言葉が発端となり、設立されました。

館内には、「人に役立つものを創ろう」というコンセプトのもとに生産されてきた市販車や汎用製品のほか、世界の頂点を目指すべく挑戦を続けてきた歴代のレース車が展示されており、当時の写真やエピソードとともに、Hondaが掲げてきたものづくりへの夢、そしてレースへの情熱を振り返ることができます。

Honda Collection Hallは、2013年に開館15周年を迎え、現在も多くの人へHondaの原点を伝えています。
Honda Collection Hall収蔵車両走行確認テストレポート

走行確認テスト

Honda Collection Hallでは、歴代の製品やレーシングマシンを走行可能な状態に保つ「動態保存」を行っています。この一環として、定期的にマシンを実際に走らせる「走行確認テスト」を実施しています。
今年の走行確認テストは、2014年9月17日(水)にツインリンクもてぎ南コースで開催され、元Hondaワークスライダーの宮城光さんが全9台のマシンの走行確認を行いました。

宮城光 プロフィール

宮城光 元Hondaワークスライダー。全日本選手権および全米選手権でチャンピオンの獲得経験を持ち、 4輪レースでもその才能を発揮。現在は、テレビの MotoGP中継でレース解説者を務めるほか、 Honda Collection Hallに関する収蔵車両の走行確認テストを行うなど多方面で活躍している。

RC142 ('59)
Honda念願のマン島TTレース初挑戦を果たしたマシン

RC142 ('59)
1954年Hondaは、当時の二輪レース最高峰と言われたロードレース世界選手権マン島TTレースに出場することを宣言。RC142は、それから5年後の59年に、念願の初参戦を果たしたマシン。125cc・2気筒・DOHC4バルブの精巧なエンジンを搭載した日本製のGPマシンは、レースの本場であるヨーロッパの注目を集める中、3台が出場。それぞれ6位、7位、11位で全車が見事に完走し、Hondaはチーム賞の栄誉を受けました。RC142を託されて6位入賞を果たした谷口尚己は、日本人初の世界GP入賞ライダーとなりました。

CB750RACER ('73)
Hondaの「トリコロールカラー」を最初にまとったマシン

CB750RACER ('73)
HondaのWGP参戦が中断されていた当時、それでも活動を継続していたRSC(現HRC)が、1973年にデイトナ200マイルレースに投入したのがCB750RACER。市販車のドリームCB750 FOURをベースに改良が重ねられ、最高出力90PS以上、最高時速250kmという動力性能を誇るこのマシンのカラーリングには、現在もHondaカラーとしておなじみのトリコロールが初めて採用されました。2ストロークマシンが優勢となる中、4ストロークのCB750RACERを託された隅谷守男が見事6位入賞しました。

NS500 ('84)
デビュー3年後も世界と戦ったスーパーサブマシン

NS500 ('84)
1984年、この年の主力マシンとしてV型4気筒のNSR500が投入されましたが、性能が安定せず、当時エースライダーとして活躍していたフレディ・スペンサーは、コースによって3気筒のNS500と4気筒のNSR500を使い分けることになりました。NS500は前年の83年にタイトルを獲得しており、すでにマシンとして成熟の域に達していました。NS500を操ったスペンサーとランディ・マモラがそれぞれ2勝を挙げましたが、4気筒マシンを凌駕するほどのパワーは得られず、翌85年にはNSR500に主力マシンの座を譲りました。

RVF750 ('91)
鈴鹿8耐8度目の優勝をもたらしたハイパワーマシン

RVF750 ('91)
1989年に参戦したワイン・ガードナーとミック・ドゥーハンのGPライダーペアは、トップ走行中にバックマーカーと接触してしまい、リタイア。続く90年は、ガードナーの転倒後、怒とうの追い上げをみせましたが、ガス欠リタイア。雪辱を期して91年に投入されたRVF750には、最高出力140PS以上を誇る水冷V型4気筒ハイパワーエンジンに加え、前年の経験から燃料タンクにリザーブコックやガソリン容量を確認するためののぞき窓が付けられました。その結果、圧倒的な強さで鈴鹿8耐8度目の優勝をHondaにもたらしました。

NSR500 ('97)
GP15戦全勝優勝の快挙を成し遂げたチャンピオンマシン

NSR500 ('97)
NSR500は、1984年のデビューから熟成を重ね、Hondaに数々の栄光をもたらしました。特に1997年モデルは、15戦全戦優勝やマニュファクチャラーズタイトルをはじめ、ミック・ドゥーハンの4連覇目にも貢献。当時のエンジンは、NSR500が先鞭をつけた優れたトラクション性能と加速性能が得られる「位相同爆エンジン」が主流で、他社メーカーも追従していたが、この年、ミック・ドゥーハンは、ピーキーで扱いにくいとされていた「等間隔爆発エンジン」をあえて選択。このマシンを難なく乗りこなして4連覇を成し遂げました。

NSR250 ('01)
グランプリ250ccクラスを制したチャンピオンマシン

NSR250 ('01)
2001年、Hondaは熟成された水冷2ストロークV型2気筒エンジンを搭載したNSR250を加藤大治郎に託しました。NSR250と加藤は、驚異的な強さで当時の年間最多記録に並ぶ11勝を挙げ、ライダーズタイトルとマニュファクチャラーズタイトルの2冠を達成。また、この年の開幕戦日本GPで、Hondaは125cc、250cc、500ccの全3クラスで勝利。世界グランプリでのレース活動を開始した1959年以来勝利を積み重ね、この日の3勝でグランプリ通算500勝を記録しました。加藤の勝利は、499勝目となりました。

ウイリアムズHonda FW11 ('86)
HondaのF1挑戦という歴史に初の年間タイトルをもたらしたマシン

ウイリアムズHonda FW11 ('86)
1983年、15年ぶりにF1に復帰したHondaは、翌84年にウイリアムズとタッグを組み新チームを結成。この年の第9戦ダラスGPで第二期の初優勝。続く85年には新ドライバーのナイジェル・マンセルが4勝を挙げました。そして86年、燃料使用量が220リッターから195リッターへと制限されましたが、燃費性能を高め、1000馬力を超えるエンジンをFW11へ投入。このマシンをマンセルとネルソン・ピケが操り16戦9勝という強さで、念願のF1初タイトルを獲得しました。

マクラーレンHonda MP4/4 ('88)
16戦15勝と圧倒的な強さを誇った無敵のターボマシン

マクラーレンHonda MP4/4 ('88)
1988年、Hondaは新たにマクラーレンをパートナーに迎え入れ、マクラーレンHondaとしてフル参戦。この年、1400馬力以上にまで上昇したパワーを危惧したFIAが、ターボの過給圧と燃費規制をさらに強化しますが、MP4/4は、エンジン、車体とも徹底的に燃費効率が追求され、16戦15勝の偉大な記録を残しました。コンストラクターズタイトルとアイルトン・セナがドライバーズタイトルを獲得したことで、2年連続のダブルタイトルを手中に収め、F1黄金期を迎えました。

マクラーレンHonda MP4/5 ('89)
3年連続の2冠獲得でセナ・プロスト2強時代を象徴するマシン

マクラーレンHonda MP4/5 ('89)
1989年、F1はターボエンジンから自然吸気エンジンに移行し、ライバルチームは「ターボがなくなればHondaに勝てる」と意気込んでいました。しかし、Hondaが投入した3.5リッターV型10気筒エンジンを搭載したMP4/5は、他を圧倒する走りで16戦10勝。アイルトン・セナとアラン・プロストによる激しいタイトル争いも話題を呼びました。プロストがドライバーズタイトルを獲得したことで、コンストラクター部門と合わせてHondaはダブルタイトルの栄冠に輝き、MP4/5は記録にも記憶にも残るマシンとなりました。