鈴鹿8時間耐久ロードレース

失敗から生まれる勝利。Part1 : 8耐の本質と10回の敗北

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Part1 : 8耐の本質と10回の敗北

失敗の記録──1987年以降

1987年

結果
11位 : 八代俊二/木下恵司(RVF750)
12位:徳野政樹/三浦昇(RVF750)
リタイア : ワイン・ガードナー/ドミニク・サロン(RVF750)
リタイア : ニール・マッケンジー/マルコム・キャンベル(RVF750)
リタイア : 鈴木淳/ジャン・フランソワ・バルデ
原因 : No.1チームのガードナー/サロン組は、サロンが2度に及んで転倒。8耐3連覇のプレッシャー下において、耐久レース出身のサロンがガードナーのスプリントセッティングに順応できなかった。
対応 : チームペアのマッチングを再確認
成果 : ライダー起用に関する課題の提示。ただし直接的な翌年の成果はなし

1987年1987年
1988年

結果 : (最上位は国内チーム)
7位 : 田口益充/伊藤真一(RVF750)
11位 : アレックス・ビエラ/クリストフ・ブーエバン(RVF750)
39位 : ババ・ショバート/ジム・フェリス(RVF750)
リタイア : ワイン・ガードナー/ニール・マッケンジー(RVF750)
リタイア : 黒川武彦/宮崎祥司(RVF750)
原因 : No.1チームのガードナー/ニール・マッケンジー組のマシンはエンジンオイル不足でエンジンブロー。ピットインの際にオイルレベルを誤認し、オイル補給をしなかったため。
対応 : オイルレベル確認用窓の拡大と、オイル補給のルーチーン化。
成果 : これ以後のエンジンブローや大きなトラブルは皆無に。

1990年

結果 : (最上位は国内チーム)
2位 : 宮崎祥司/大島正(RVF750)
3位 : ドミニク・サロン/アレックス・ビエラ(RVF750)
7位 : ジャン・ミシェル・マティオリ/ステファン・メルテンス(RVF750)
リタイア : ワイン・ガードナー/ミック・ドゥーハン(RVF750)
原因 : No.1チームのガードナー/ドゥーハン組はガードナーが転倒。その後のハイペースな追い上げによって燃費が悪化したものの、燃料タンクの構造ミスで燃料が満タンにならず、走行中に計算よりも早く燃料不足となりエンジン停止。リザーブコックが未装備だったため再スタート不能に。
対応 : 燃料タンク構造の改良、リザーブコックと残量警告灯の追加装備。
成果 : 91〜92年に2連勝。

1993年

結果 :
2位 : エディ・ローソン/辻本聡(RVF750)
3位 : 青木拓磨/マイク・スミス(RVF750)
4位 : ミック・ドゥーハン/ダリル・ビーティー(RVF750)
6位 : 武石伸也/岩橋健一郎(RVF750)
原因 : No.2チームのローソン/辻本組はローソンがトップ走行中に転倒し2位。No.1チームのドゥーハン/ビーティー組は、ドゥーハンが転倒し4位。いずれもコース上に落下していたオイルに乗ったもの。国内チームの武石/岩橋組のマシンは、新規に組み上げたフレーム部品の不具合による燃料系トラブルで6位。
対応:事前に保証の取れた部品のみを使用することを徹底化。
成果:94〜95年まで2連勝。

1996年

結果 :
3位 : カール・フォガティ/青木拓磨(RVF/RC45)
8位 : ミゲール・デュハメル/宇川徹(RVF/RC45)
11位 : 伊藤真一/辻本聡(RVF/RC45)
リタイア : アーロン・スライト/岡田忠之(RVF/RC45)
原因 : No.1チームのスライト/岡田組はスライトの転倒でリタイア、No.2チームのフォガティ/青木組はフォガティの転倒で3位。また、実質No.3チームのデュハメル/宇川組はマシンセッティングに悩み8位に低迷。
対応 : ライダーの組み合わせ要素を再考。翌年は日本人同士、外国人同士でペアを組ませる。
成果 : 翌97年に日本人ペアの初優勝を実現。以後、Hondaは10連勝。

2007年

結果 :
2位 : 岡田忠之/カルロス・チェカ(CBR1000RR)
リタイア : 清成龍一/ジェームス・トーゼランド(CBR1000RR)
原因 : No.1チームの清成/トーゼランドはトーゼランドが転倒しリタイア。No.2チームの岡田/チェカ組は岡田がスタートでフライング、ペナルティ(ピットストップ)の結果2位。
対応 : ライダーの8耐出場経験や組み合わせを再考。
成果 : 翌08年に優勝。

2009年

結果 :
3位 : 亀谷長純/高橋巧(CBR1000RR)
9位 : 秋吉耕佑/伊藤真一(CBR1000RR)
43位 : 山口辰也/安田毅史/小西良輝(CBR1000RR)
原因 : この年から2つのサテライトチームへワークスマシン供与するレースとなったが、目まぐるしく変化する天候などが原因で、それぞれのチームが転倒。

2009年

こうして見ると、負けた翌年の8耐では前年の雪辱を果たし、それ以降に連勝を記録している場合が多いことが分かる。このことからも、前年の失敗が翌年の勝利へのモチベーションとなっているのは明らかだ。

しかし、8耐常勝メーカーだったはずのHondaが2連敗のどん底に沈んだ87年、88年に続く89年は、フランスホンダの耐久チームが優勝したことでメーカーとしての連敗は食い止めたが。No.1チームは転倒でリタイア。翌1990年もNo.1チームはガス欠によるリタイアとなっているから、No.1チームでは実に4連敗を喫してているわけだ。

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記録は冷徹なまでの事実だけを伝える。いってみれば、この時代に勝ちを狙ったNo.1チーム=Honda RVFとガードナーは、4年間も8耐で勝てなかったということになる。これは、どういうことなのか。そしてこの時、何が行われていたのか。