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つかみかけた栄冠を今年こそ REVENGE FOR INDY500

  • 日本人初のポイントリーダー佐藤琢磨に直撃! インディ500への思いを語る
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日本人初のポイントリーダー佐藤琢磨に直撃! インディ500への思いを語る

レーサーから見たインディ500の価値

Q:佐藤選手が初めて見たインディカーレースは、インディ500でしたよね?

佐藤琢磨(以下佐藤):僕がインディ500というレースを知ったのはかなり昔のことです。子どものころでした。むしろF1よりもずっと前だったと思います。F1を知ったのは、1987年に鈴鹿に行った10歳のときだったのですが、その前に新宿の戸山に住んでいたころ、テレビでインディ500をやっていたのを覚えています。そのときに「すごく歴史のあるレースなんだな」という認識を強く持ちましたね。ただ、そのあとにF1を目指してヨーロッパでレースをして、インディ500を追いかけるということはしばらくありませんでした。それがインディカー・シリーズで戦う機会を得て、2009年にインディ500の予選を初めて自分の目で見ました。あのときの衝撃たるや、忘れられませんね。本当に衝撃的でした。僕はF1で時速300kmオーバーの世界を知っていましたが、それにもかかわらず、あの日、インディアナポリス・モーター・スピードウェイの1コーナーの内側に立って、マシンが時速370kmオーバーでコーナーに進入し、それを滑りながらコントロールしているドライバーを見たとき、「これはただ事じゃない」と思いました。「もしかしたら自分にはできないかもしれない」と本当に思いました。それほど印象的でした。そのうちに、僕の中にインディに対する興味がすごくわいてきて、歴史もさることながら、ものすごいレースなんだなと思うようになって、そこから2010年の参戦に話はつながっていきました。

Q:実際にインディアナポリス・モーター・スピードウェイを走ってみて、どうでしたか?

佐藤:10年の決勝日、インディ500ならではの30万人を超すファンが見守る中で走ったのは、本当に特別な経験でしたね。インディ500というのは、毎年のインディカー・シリーズの中の一戦なのですが、やっぱり格別なんですよね。ほかのレースとは格が違います。だからこそ、インディカーのチームは、それこそ1年をかけてインディ500のためだけにマシンを用意します。まさしく“インディカー”を作るわけです。今、自分はインディカー・シリーズで走っているので、インディ500に対する意識は以前よりもずっと強くなっている、そう感じています。

Q:インディアナポリス・モーター・スピードウェイは非常に難しいコースだといわれていますが、佐藤選手は初めて走った2010年から目覚ましい走りをみせましたね?

佐藤:1年目は、まず3時間を超える長丁場のレースをそれまでに経験したことがなかったですし、ピットストップも、少なくても6〜7回は必要ですので、本当にスケールが違いました。それでも、レースはすごく楽しかったです。レース序盤はなかなか感覚がつかめずにいましたが、ラップを重ねながら少しずつ経験を積み、次第にレースを戦えるようになっていきました。オーバルレースといっても、インディの場合はロードコースのような戦いです。スタート直後を除いて、2台が並んだままコーナーに入っていくことはほとんどないですからね。バンクの急なテキサス・モーター・スピードウェイなどであれば、2台以上がずっと並走するシーンもあります。しかし、それらのレースとインディ500は全く違っていて、インディ500では長い直線を利用してスリップストリームを使い、コーナーに入る前に相手を抜きます。それを実現するためには、いかにストレート前のコーナーを、相手のマシンの真後ろで回れるかが大切になります。大変なチャレンジですが、インディ500を実際に戦う中で、少しずつそれができるようになっていきました。ペナルティーなどもあって、最終的な順位はあまりよくなかったのですが、最初の年から非常に力強いレースができたことはとてもよかったと思います。

Q:2度目のインディ500はどうでしたか?

佐藤:2年目は、インディ500を戦う2週間半という長い期間に対して、どういうアプローチをすべきなのかが分かっていました。最初の年は、1週間もプラクティスをやって、予選をやって、そこから1週間空いて決勝というスケジュール感が分かりませんでした。2年目はその組み立てができていたと思います。しかし、レースそのものはスポッターとのコミュニケーションの問題がありましたし、自分もうまく乗れておらず、早々に終わってしまいました。

Q:インディ500ではプラクティスが1週間もあります。晴天が続くと十分に走り込めますが、雨であればほとんど走れないまま予選や決勝を迎えることになります。長いプラクティス期間にはいい点と難しい点があると思いますが、そのあたりはどう感じていますか?

佐藤:タイヤのセット数が決まっているので、たとえ天候がよくても、毎日ずっと走り続けていられるわけではありません。ただ、トラック自体はほぼ一日中オープンです。こんなレースはほかにはないです。それが1週間も続くのですから。初めてインディ500を経験するまでは、「それだけの時間があって、一体なにをそんなにテストするんだろう?」と思っていました。ですが、実際に自分がやってみると、全然時間が足りません。インディ500でのマシンに関しては、本当に完ぺきを求めていくのです。セットアップに関して、あれほど細かく極めていく作業というのは、ほかに類を見ないです。気温、湿度、風向き、そうした要素の変化によって、マシンの状態が変わってしまうのがインディカー・シリーズです。それを見極めなければならないのですが、昨年はマシンが新しくなりましたから、チームはいろいろな分析をしなければなりませんでした。ライドハイトの分析をしたり、エアロマップを作ったりという作業が必要でした。1週間というプラクティスの期間は長く思えますが、実際にはまだまだやりたいことを残した状態で予選、決勝を迎えていました。

Q:それでもトップ争いができたのは、2年の経験を生かしてマシン作りを成功させたということではありませんか?

佐藤:そうですね。1年目と2年目は同じマシンでレースを走り、3年目は新型で走りました。そのため、2年間の経験が直接生きたかどうかはなんともいえないところもあるのですが、インディ500を戦うイメージは持てていましたし、どんなマシンを作ればいいのかも分かっていました。単独での走行用と、トラフィックでの走行用の両方を作るということも含めてです。そう考えると、やはり3年目はやりやすかったです。あとは、新しいマシンでどれだけセッティングを探せるかが勝負でした。この作業はとても楽しかったです。特に、昨年は天候に恵まれたこともあって、使えるタイヤセット数の中で、最大限にプラクティスを進めることができましたから。

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