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inside HPD〜語り継がれるアメリカン・ホンダ・レーシング・スピリット
vol.7堀内大資(Daisuke Horiuchi)Hondaパフォーマンス・ディベロップメント(HPD)チーフ・エンジニア
「3年目で実現した念願のタイトル獲得」

最初のシーズンは速さよりも信頼性という部分に重点を置いていたので、ARX-01aはかなりオーバー・ウエイトな状態で投入したのですが、初戦からうまくいって気が緩んだのか、改良が進まずなかなか勝てなかった。その点を反省し、翌2008年のARX-01bは耐久性を維持したまま可能な限り軽くすることを目標にしたところ、2年目の第3戦ロング・ビーチでやっと2勝目を獲得。シーズン後半の第5戦ライム・ロックではエンジンのパワーも上がり、ついに初めてLMP1クラスを負かして総合優勝することができたのです。ALMS参戦17戦目のことでした。

HRLのデイビッド・ブラバム(左)/スコット・シャープの二人によって初の総合優勝がもたらされました HRLのデイビッド・ブラバム(左)/スコット・シャープの二人によって初の総合優勝がもたらされました

第9戦デトロイトでも再びLMP1クラスを破り、しかも総合ワンツースリーで表彰台を独占。最終的にライバルのポルシェに対して6勝5敗と勝率では上回ったのですが、チャンピオンはたった1ポイント差で逃してしまいました。途中からポルシェが台数を増やしたことや、不運としか言いようが無いクラッシュが相次ぎ、速さはあっても総合力という面であと一歩及ばなかった。参戦3年目となる2009年は、2年間で学んだレースの運び方や戦略を、新に挑戦するLMP1クラスでフルに活かすつもりでした。

LMP1クラスにステップ・アップするために、我々は一からマシンを開発することを決断しました。というのも、新しい環境技術を積極的に導入しようとしていた主催者は、ヨーロッパで主流となっていたクリーン・ディーゼルの技術を優遇し、このクラスの王者として君臨していたアウディは当時5.5リッターのV12ディーゼル・ターボ・エンジンを搭載。一方、我々のE10(エタノールを10%混合)ガソリン・エンジンは自然吸気のV型8気筒で、4リッターまでしか排気量を上げられないというルールだったのです。

この2年でディーゼルならではの圧倒的なトルクと最高速を目の当たりにしていた我々は、コーナーリング・スピードで勝負するしかないと判断。フロントのタイヤをリアと同じ幅にし、グリップを上げることで対抗することにしました。空気抵抗が増える分、直線が長いコースでは不利ですが、ALMSはコンパクトなロード・コースや市街地コースが多かったため、これなら勝負ができると確信して作り上げたのがARX-02aです。

セブリングでデビューしたARX-02a(HRL)、後ろはARX-01b(FRT)でフロント・フェンダーの大きさの違いに注目! セブリングでデビューしたARX-02a(HRL)、後ろはARX-01b(FRT)でフロント・フェンダーの大きさの違いに注目!

ところが折からの経済危機によって、アウディは急遽スポット参戦に計画を変更。自分たちの有利な長い直線のコースだけに的を絞るという戦略に出てきました。それでも開幕戦のセブリングでは我々がポール・ポジションを獲り、十分にアウディと戦えることを証明できた反面、レースでは耐久性の面で敗北。結局、我々の得意なコースでアウディにリベンジすることは叶いませんでしたが、2台のアキュラがシーズンを引っ張る形で戦った結果、最終戦までもつれこんだタイトル争いの末にHRLがチャンピオンを決めてくれました。

LMP2クラスでもポルシェが撤退したためにマツダと戦うことになり、主催者はレースを拮抗させることを目的に、マツダには前年までと同じリストリクターを許可。これでパワー的には不利になりましたが、2年間で学んだ戦い方と燃費の強みを活かし、先行されても最後には勝つという戦略でFRTが8勝を挙げて念願のチャンピオンに輝きました。これでアキュラは両クラスのドライバーズ・タイトルとチーム・タイトル、マニュファクチャラーズ・タイトルのすべてを獲得した初めての自動車メーカーとなったのです。

アレン・ミラー(左)がLMP1、クレイグ・ヘンリーはLMP2のエンジン開発を担当。HPDが誇る素晴らしいエンジニアたちです! アレン・ミラー(左)がLMP1、クレイグ・ヘンリーはLMP2のエンジン開発を担当。HPDが誇る素晴らしいエンジニアたちです!
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