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inside HPD〜語り継がれるアメリカン・ホンダ・レーシング・スピリット
vol.7堀内大資(Daisuke Horiuchi)Hondaパフォーマンス・ディベロップメント(HPD)チーフ・エンジニア
「予想もしなかったデビュー・ウイン」

2007年からALMS(アメリカン・ル・マン・シリーズ)に参戦するにあたり、インディのメタノール用に開発していたオールHPD製エンジンを3.4リッターのガソリン仕様へと変更することになりました。我々がエントリーするのはLMP2(ル・マン・プロトタイプ2)クラスで、ポルシェが最大のライバルです。その上のLMP1クラスに出ているアウディやプジョーもそうですが、勝つためには車体とのマッチングがとても重要で、シャシーも同時に開発する必要がありました。

HPDでゼロから開発したエンジンは、ALMSでデビューしました HPDでゼロから開発したエンジンは、ALMSでデビューしました

そこで最も手を加えやすいフランスのクラージュ製シャシーをベースにすることが決まり、HPDではシャシーの開発が初めてだったので、CART時代から付き合いのあったイギリスのワース・リサーチ社と一緒に開発。モノコック以外のほとんどの部分をオリジナルで製作し、ドラッグ(抵抗)を増やすことなくダウンフォースを大幅にアップすることに成功しました。我々のALMSデビュー作、アキュラARX-01aの誕生です。

2007年開幕戦セブリングを走るアキュラARX-01a、#9は開発チームのHRLです 2007年開幕戦セブリングを走るアキュラARX-01a、#9は開発チームのHRLです

ARX-01aは長年インディを我々とともに戦ってきたAGR(アンドレッティ・グリーン・レーシング)と、ALMSの参戦経験が豊富なHRL(ハイクロフト・レーシング・リミテッド)に委ね、HRLが走行テストによる開発を担当。この2チーム以外に、実績のあるローラ製・シャシーをエンジン開発用として起用することになり、こちらもインディから付き合いのあるFRT(フェルナンデス・レーシング・チーム)で走らせることになりました。

とにかくフォーミュラ以外のスポーツ・カーのレースは初めてのことだったので、最初のセブリング12時間レースは完走することが目標でした。エンジンも最後まで絶対に壊れないように、耐久性を第一として開発してきたのですが、なんとこのレースでいきなりAGRがクラス優勝してしまったのです。ダリオ・フランキッティとトニー・カナーン、ブライアン・ハータとみなHondaと関係が深いベテラン・ドライバーばかりで、本当によく最後まで頑張ってくれたと思います。

(右奥から)フランキッティ、カナーン、ハータ、当時の社長だったロバート・クラーク(右前)も大喜びです (右奥から)フランキッティ、カナーン、ハータ、当時の社長だったロバート・クラーク(右前)も大喜びです

見ていた我々としては「最後まで止まるな! 壊れるな!」って感じで、もう気がきじゃなかったですよ。12時間も(笑)。もちろん終わった瞬間は盛り上がりましたけど、最後まで走ってくれて良かったという、嬉しさのほうが先でした。レース後にエンジンを分解したら、あと数マイルしか持たなかったことも判り、本当にギリギリの勝利だったんだとみんなで再び感激しましたね。第3戦目、HPDの地元とも言うべきロング・ビーチのレースでは格上のLMP1クラスを凌いで初の総合ポール・ポジションを獲得するなど、順調すぎるほどの滑り出しだったのですが、逆にそれが良くなかったのかもしれません。

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