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inside HPD〜語り継がれるアメリカン・ホンダ・レーシング・スピリット
vol.5堀内大資(Daisuke Horiuchi)Hondaパフォーマンス・ディベロップメント(HPD)チーフ・エンジニア
「CART時代に果たせなかったツインリンクもてぎとインディ500で勝利」

2004年シーズンに投入したこの新しいエンジンは、我々の期待どおりの活躍をしてくれることになり、14連勝という圧倒的な強さを発揮。その中にはCART時代に果たせなかった、ツインリンクもてぎでの初優勝もあります。「やっと本当に勝てた」という感じで、うれしかったですね。CARTで使おうとしていた燃料噴射の技術も生かせましたから。

確かに、CART時代に勝っておきたかったというのはあります。毎年、「これだけやったら絶対に負けるはずがない」と自信満々でツインリンクもてぎに行っていたのに、なぜかうまくいかない。栃木研究所にいた私としては、唯一の地元のレースだったわけで、一番勝ちたいところでした。CARTの165戦中、65勝もしながら最後までここで勝てなかった……。

2004年のインディジャパンのレース後にHPD全員で記念撮影! やっと勝てました。 2004年のインディジャパンのレース後にHPD全員で記念撮影! やっと勝てました。

勝った後に、なんで今まで勝てなかったんだろうと思いましたね。でも初期の頃から一緒に戦ってきたHPDの仲間は、当時の我々の悔しさを解かってくれていると思いますし、新しいスタッフはHondaが勝てなかったコースで初めて勝って、きっとうれしかったと思うんです。Hondaの伝統的なレースエンジンのノウハウを彼らに、アメリカのHPDに引き継いで、やっと勝てたということなんでしょう。それはすばらしいことだと思います。

もてぎで勝った喜びもつかの間、我々はもう1つの重要なレースである次のインディ500のことで頭が一杯でした。新ルールでパワーダウンされることが決まり、それまでの3.5リッターから3リッターになるので、ライバルがこのタイミングで新しいエンジンを出してくるのではないかと思っていたからです。しかし5月になってプラクティスが始まると、相変わらず我々のパワーがアドバンテージをキープ。この時点で少し安心できたのを覚えています。

新しい燃料噴射システムはレースでも大活躍し、もてぎに続いて念願のインディ500も初めて制覇することができました。結局この技術は進化しながら翌2005年もアドバンテージとなり、12勝を挙げて2年連続でマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得。たった2年前に図面書きから始まったとは、とても思えないほどの活躍ですよね(笑)。

2004年のインディ500のレース後、ウイナーのバディ・ライスと同じ様に帽子を被って記念撮影です! 2004年のインディ500のレース後、ウイナーのバディ・ライスと同じ様に帽子を被って記念撮影です!
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