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inside HPD〜語り継がれるアメリカン・ホンダ・レーシング・スピリット
vol.6堀内大資(Daisuke Horiuchi)Hondaパフォーマンス・ディベロップメント(HPD)チーフ・エンジニア
「完成間近になってインディへの単独供給が決定」

HPDが独自に開発した燃料噴射システムがレースで大活躍する中、内部ではオールHPD製の新しいエンジンの開発が着実に進んでいました。しかし2005年いっぱいでシボレーが撤退することになり、シリーズを運営しているIRLの方から「もしトヨタもいなくなった場合、2006年からHondaだけでエンジンが供給できるか?」という打診があったのです。2005年の秋のことでした。

インディがHondaのエンジンだけになっていいものか、様々な議論が飛び交いました。 インディがHondaのエンジンだけになっていいものか、様々な議論が飛び交いました。

それまではワンメイクになることなど考えてもいなかったので、最初は戸惑いました。Hondaの歴史を振り返ってみても、トップクラスのシリーズで単独供給したことはなかったですし、コンペティションがあるからこそ参戦する意味があると誰もが思っていたはずです。Hondaとしてこのまま参戦を続けるのかどうか、かなり長い時間をかけて議論したのは言うまでもありません。

最終的に我々が出した結論は、自動車メーカーとしてアメリカにお世話になったHondaが、当時、分裂の末に衰退していたオープンホイール・レースから、我々も一緒に撤退してはいけないというものでした。Hondaがいなくなることでチームやスポンサーも離れれば、さらに状況が悪くなってしまうのは明らかで、このようは状態だからこそ続けるのが重要だと判断。2005年の最終戦に、2009年までの継続をアナウンスしました。

Hondaがアメリカに進出し、ロサンゼルスにオフィスを構えたのは1959年のことです。 Hondaがアメリカに進出し、ロサンゼルスにオフィスを構えたのは1959年のことです。

頭を切り替え、ワンメイクも一つの新しいチャレンジだと考えたのですが、何しろまったく経験がない初めてのことです。全ドライバーに対して公平に同じ性能のエンジンを保証するため、信頼性や耐久性をそれまで以上に高めなければなりません。それでいてインディ500には必ず33台へ供給しなければならず、そのクオリティをしっかりと維持していくというのは、並大抵のことではないのです。

また、パワー優先の開発競争がなくなるので、エンジンコストもできるだけ下げようということになりました。一つのエンジンで走れる距離を伸ばし、リビルトする回数を減らしてエンジンライフを長くするにはどうしたらいいかということで、新規の開発が必要でした。通常の約3レース分、1400マイルでエンジンをリビルトすることに決め、それだけ走っても各エンジンの性能差が1%以内に収まるようにするための開発です。

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