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inside HPD〜語り継がれるアメリカン・ホンダ・レーシング・スピリット
vol.3堀内大資(Daisuke Horiuchi)Hondaパフォーマンス・ディベロップメント(HPD)チーフ・エンジニア
「ゼロからのエンジン開発」

2003年から始まるIRL参戦に向けて、02年は私がイギリスのイルモア・エンジニアリングに通いながらエンジンを仕上げていった一方で、HPDではCART最後のシーズンに集中していたため、本格的なエンジン開発の準備が始まったのはオフシーズンからでした。年末には私もロサンゼルスへ引越し、現地スタッフと一緒にエンジンの開発を始めることになります。

「需要のあるところで生産する」というHondaのポリシーによって決まった現地開発ですが、なにしろHondaにとって初めての試みです。世界各地の研究所で部分的に開発を担当するようなことがあっても、エンジンをまるごと設計、開発するというのは栃木研究所以外ではありませんでした。しかもレース用エンジンです。本当にものすごく大きなチャレンジでした。

それまで、量産車も含めたエンジン全体の設計はすべて日本の栃木研究所(写真)で行われていました。 それまで、量産車も含めたエンジン全体の設計はすべて日本の栃木研究所(写真)で行われていました。

「Hondaのエンジンをアメリカ人と一緒に作るぞ」をテーマにスタートしたのですが、図面が書ければエンジンができるわけじゃなく、その図面を元にアメリカでちゃんと部品が調達できて、それを組み上げて目的のパワーがちゃんと出るところまでいかないといけません。それでいてあくまでも他社とは違う、我々が開発したHondaのエンジンとして認められるというのが目標でした。

量産車用もレース用もエンジンの作り方の基本は一緒で、どういうエンジンにするんだという目標ごとにプロトタイプを作り、そのパフォーマンスと信頼性が要件にかなっているかどうかというのを見た上で世に出します。そういったプロセスは全く同じなんですが、それぞれのレギュレーションが違えば技術的に求められるものも全然違ってくるわけですし、なんと言っても、レースでは勝たなければならないんですね。

それまでのHPDというのはエンジンのメンテナンスがメインだったので、開発するための人も設備も何もないという状況から、ゼロスタートで立ち上げなければなりませんでした。開発するにあたり、設計、テスト、電気、材料といったスタッフを現地でどんどん採用していったのですが、レースエンジン会社から来てもらった経験者は数人だけ。ほとんどが大学の新卒の人たちだったんです。

若くてやる気のあるメンバーばかりで、彼らにHondaのエンジンを一から学んでもらいました。 若くてやる気のあるメンバーばかりで、彼らにHondaのエンジンを一から学んでもらいました。
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