


それまで、もちろん他のメーカーと一緒に開発する経験などなかったので、いったいどんな人たちと仕事をするんだろうと思っていました。しかし不安はあまりなく、外の文化に触れられるような期待と、どういうふうに進むのかが全く見えない状態だったので、逆に面白かったですね。実際、向こうの技術者と話をすると、非常に勉強になりましたよ。お互いに、考え方が全く違う会社なんで。
以前は競争相手のエンジンとして見ていたわけで、「ここはどうなってるんだろう?」と想像していた部分というのが、実際一緒にやることによって初めて「ああ、こうだったのか!」と解りました。お互いにCART時代に苦労していた部分というのが、共通だったというのがよく解って、変な意味、解り合えたみたいなところがあります。

Hondaにももちろんいいところがあるし、イルモア側にも伝統の技術があって、そういうものが初めて一緒になる感じがすごくよかった。守るべき機密は守りつつも、同じ方向に向かって同じ目的で新しいエンジンを作ろうということで、けっこう技術的に深いところでは、ざっくばらんに色々なコラボレーションができたと思っています。
2003年からはHPDの開発体制もできていき、燃料系や吸気系など、パワーアップの部分の開発をHPDで担当し、出力を向上させるために様々な努力をしてきました。イルモアさんは基本的なエンジン本体と、耐久性の部分を担当。残念ながら最初の2003年シーズンは負けてしまいましたけど、翌2004年はHPDで開発したメタノール用の燃料噴射技術によって、かなり良いエンジンになりましたね。

パワーを抑えるためのルール変更があって、2004年シーズン途中から排気量が3リッターに落ちてしまったのですが、その燃料噴射技術のアドバンテージをうまくキープできて、ツインリンクもてぎとインディ500で念願の初優勝を達成。2004年と2005年の2年連続でマニュファクチュアラーズ・チャンピオンも獲得しました。また、その一方ではHPD単独でのエンジン開発も、着々と進んでいたのです。(vol.3につづく)