Honda Racing to TOP
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 代わりにトニー・ジョージが提案したのがIRLで、レースマシンをもっとシンプルでお金のかからないものにしようというもの。ターボエンジンを禁止、自然吸気のV8エンジンと、指名された2、3のシャーシ・メーカーと、エンジン・サプライヤーを使い、コストを抑えることを大きな狙いとしたレギュレーションにしたがって、レーシングシーンはつくられることになった。
 IRL計画の発表当初、その当時CARTが高い人気を維持していたこともあって、レース関係者はみんなトニー・ジョージの試みに対し懐疑的で、遅かれ早かれ失敗に終わるだろうと考えていた。
 1996年、IRLはそのシーズンに行なわれる3レースを発表した。たったの3レースの異例に短いシーズンではあったが、その3レースの中にはインディ500が含まれていたのだ。
 そしてそれよりも大事なことは、その1996年度インディ500の33のスターティング・グリッドのうち、25はIRL参戦ドライバーの得点順位によって決められるという発表だった。言い換えれば、多くのドライバーはインディ500に参加するためには、インディ500より以前に開催されるIRLの2レースに参加しなければならないということを暗に強要したものである。
 このことはCARTに参戦するチーム・オーナーやレーサーを大きく動揺させた。何故なら、彼らは国民的お祭りであるインディ500にだけは何がなんでも出たいのである。しかし、IRLに出場しない限りその道は閉ざされたも同然なのだ。このことに強く反発したCART側は対抗処置として、インディ500が開催される週末(アメリカでは「メモリアル・デイ・ウィークエンド」という伝統的に学校の終わりと夏休みの始まりを告げる3連休である)に、ミシガン・インターナショナル・スピードウェイ(Michigan International Speedway:MIS)でインディ500形式の500マイル・レースを開催することを発表する。
 それ以来、数年にわたって同じ週末に同じような500マイル・レースがインディアナポリスとミシガンとで同時開催されたが、明らかにインディ500を開催するIRLのほうに軍配があがったようだ。
 マイケル・アンドレッティ、アル・アンサーJr.、ポール・トレイシーといったスター選手をCARTシリーズから全員奪うことによって、インディ500というたったひとつのレースは、年間シリーズとしてのCARTよりも魅力があるということを証明してみせたのだった。
 むろん最初からIRL側の優勢が明確だったわけではない。はじめのうちは観客も少なく、ケニー・ブラックやトニー・スチュアート、サム・ホーニッシュJr.といった見たことも聞いたこともない選手が優勝するなど、レースファンの関心は低かった。しかし徐々にエキサイティングなレースが多くなり、IRLはおもしろいシリーズに変身していく。
(選手名、写真等は2003年時のもの)
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フッタ
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