初代開発者・伊藤氏に聞く

操る喜び、人中心の源流へ〈後編〉

Honda四輪ブランドの象徴、シビックに受け継がれてきた開発思想とはどのようなものなのか。前編に引き続き、初代から6代目までの開発に携わった伊藤博之へのインタビューを通じて、明らかにしていく。

伊藤博之氏

常に、

試行錯誤を繰り返しながら。

シビックのコンセプトづくりにまつわる、印象的なエピソードを尋ねてみた。「5代目スポーツシビックのとき、とにかく明るさや躍動感を表現したいと思った。そのとき私の頭に浮かんだのは、ブラジルのサンバのリズムにのって、女性ダンサーが楽しく元気に踊っている姿だった」。

そこで伊藤はデザイナーを連れてブラジルへ向かった。「リオ、マナウス、サンパウロに滞在した。カーニバルの爆発的な熱量を体感するためだった」と話す。社内評価会で伊藤が現地で撮った映像を流しながら説明を行うと、賛否両論が巻き起こった。しかし、机上からは決して生まれない丸みを帯びた躍動感あふれるデザイン、明るく陽気でしなやかなサンバボディーができあがった。

「やってもみないうちからできないとか、諦めてしまっては絶対にダメ。どうすればできるのかを考えることが重要。それはデザインに関しても、性能に関しても、コストに関してもまったく同じ。試行錯誤を繰り返して、目の前の問題を解決する方策を考え続けた」と伊藤は振り返る。

独自の信念やこだわりを具現化してきたからこそ、シビックは伊藤が開発に携わっていた時代に、イタリアのカーデザインアワード大賞をはじめ、自動車初のグッドデザイン大賞、カーデザイン大賞、さらには日本カー・オブ・ザ・イヤーと、国内外の権威ある各賞の受賞につながった。

50年。

変わること、変わらないこと。

時代が変われば、もちろん人々がクルマに求めるものも変化していく。シビックは2005年発売の8代目モデルから世界標準のグローバルモデルを見据え、サイズも排気量もアップさせて3ナンバー車へと移行。同時に、ベーシックカーとしての役割はフィットへと継承された。

しかし、伊藤たちが築き上げたシビックのDNAは、この50年間変わることなく確実に受け継がれている。それは最新の11代目に至るまで歴代シビックが、常に “心を解き放つような爽快な走り”を実現してきたことからも容易に理解できる。最初に伊藤が語っていた「キビキビと走る操作性」とは、シビックが一貫して提供し続けてきたクルマを“操る喜び”にほかならない。

「ただの大衆車をつくるだけでは、技術者としては面白くもなんともない。他とは違うクルマをつくってやる、という気概だけは常に持ち続けていた。初代シビックにRSをラインナップしたのも、より走りの満足感を求める声に応えたかったから」。こう話す伊藤の言葉通り、RSのスポーツマインドは数々のレースでの戦績はもちろん、TYPE Rにも確実に継承されている。

最後に、シビックはどんな未来へと向かうべきなのかを問うと、伊藤はこう結んでくれた。「挑戦することがHondaの精神であり、シビックの真骨頂だ。運転の楽しさを乗る人全員が感じとれるクルマとして、さらなる進化を続けていくべきだろう。そして、これから先もシビックは、時代や社会性を先取りするHonda車であり続けてほしい。私は、それをしっかり見守っていきたいと思う」。

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