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第5章 「油断」  1997年 P1

2年連続のドライバーズ・チャンピオンに輝くも、
肝心のマニュファクチャラーズ・タイトルを落とす
 
ザナルディ、スタート直後
昨年に引き続き6連続のポール、11戦連続フロントローを獲得したザナルディ。
このクリーブランドも含め、ホンダはポールを6回獲得

16戦中11勝という圧倒的な強さを見せて3冠を達成した1996年のホンダ。その翌年ともなれば、最初から活躍してもおかしくないところだが、そううまくいくほどCARTは甘い世界ではなかった。当時参戦していたのはホンダのほかに、フォード、メルセデス・ベンツ、トヨタと4メーカーが凌ぎを削っており、それぞれがその威信をかけて戦っていた。前年にパワーで優位に立っていたホンダだったが、この年あっという間に追いつかれてしまうことになる。

ホンダは新しいレギュレーションに合わせるために、ほぼ2シーズンに渡って使用してきたHRHから、HRRという新エンジンを投入した。「96年は95年のキャリーオーバーでしたから、97年は次のステップとして、もっと目標の幅を広げていこうということになりました。そこで、コンパクトで軽いエンジンにしたんですが、パワーは狙いどおり出たものの、すぐにメルセデス・ベンツに追いつかれてしまった。敵がそれ以上やってきたということで、そこまで予想できなかった」と、朝香はHRRを振り返る。

6人というドライバーの布陣こそ変わらなかったものの、4チーム中2チームが変更となったこの年。ホンダとともに初めてのチャンピオンに輝いたチップ・ガナッシ・レーシングと、ホンダの初優勝チームであるタスマン・モーター・スポーツ・グループはそのままに、新しくチーム・グリーンとウォーカー・レーシングが加わる。グリーンにはホンダで最も古株のパーカー・ジョンストンが入り、ウォーカーにはホンダのエンジン開発を担当していたジル・ド・フェランが移籍した。

「95年にジャック(ビルニューブ)とチャンピオンを獲ったバリー(グリーン)は、次の年にジャックがF1に行って、その次の年のオフシーズンにはスポンサーもいなくなったんです。それで、このままではチームが無くなるというところだったんですが、前々からずうっと話をしていたこともあり、続けられるんだったらぜひ一緒にやろうと。そうしたらそこへクールというスポンサーも見つかって、何とかできそうだということになった」と朝香。これが現在に繋がるグリーンとの、初契約までの経緯だった。

ウォーカーに関しては、「ジム・ホールのスポンサーがいなくなることで、彼がチームをたたんで引退するというのが解った途端、ジル(ド・フェラン)獲得に飛びついたのがウォーカーでした。我々としてはジルにずうっとエンジンの開発を頼んでいたこともあり、彼の実力をとてもかっていたので、絶対に逃がしたくなかった。そうしたらジルも『ホンダのエンジンでなければ行かない』と言ってくれて、一緒にいくことになったわけです」。

こうして始まったホンダのCART4年目。開幕から2連続でアレックス・ザナルディがポールポジションを獲り、前年から続く6連続ポールを達成。翌第3戦では予選2位となったものの、ここで11戦連続のフロントロー・スタートという2つの大記録を打ち立てる。レースはそのザナルディが第3戦でシーズンの初優勝を獲得し、まずまずの滑り出しとなったかに見えたが、次からホンダはまったく勝てなくなってしまう。前年に4勝を挙げてチャンピオンに輝いたジミー・バッサーは振るわず、結局、この年の勝利は第16戦まで待たなければならなかった。


 

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フッタ
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