開発ファクトリー潜入[エンジン]

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自らの持てる力を最大限に活かしてものをつくり、テストによってその成果を確かめ、「これが、自分たちの考える最高の結果だ」と自信を持ってカスタマーたるライダーに提供したとして、「これじゃダメだ」とあっさり突き返されることもしばしば。和泉さんと帆井さんは、あくまでも淡々と語るが、なんと厳しい仕事環境だろう。高い技術力はもちろんのこと、相当に強いメンタルを持っていないとくじけてしまいそうだ。
「たしかに、ライダーはライバルと極限の世界で戦っているとはいえ、その要求はほとんど“理不尽”とさえ言ってもいいかもしれませんよね。はっきり言って、『これでもダメなのか……』とガックリ来るときもありますよ」
和泉さんはそう話すが、目の奥には熱い“闘志”が見え隠れする。
「私や帆井が、持てるノウハウを注いで設計したエンジンに対してそこまで言われたら、やっぱり面白くない。そのよくわからない“フリクション感”“波打ち感”とやらを完璧に取り除いてやろうじゃないか!とも思いますね。『その代わり、何が何でも勝てよ!』という一心です。ライダーは私たちの仕事を、きちんと言葉に出して褒めたりはしませんけど、彼らを最終的に“黙ら”せて、さらにそのエンジンで勝利を飾ってくれたときの充実感は一言じゃ言い表せませんね。『エンジン開発に携わっていてよかった!』と思いますよ」
そう、彼らはRC166(1966年)の250cc 6気筒エンジンや、NR(1979年)の楕円ピストンエンジンなどを生み出してきた「Hondaのエンジン屋」の末裔なのだ。エンジン開発の技術だけでなく、“負けず嫌い”の精神もまた、受け継がれているのだろう。

命を吹き込むのは「人の手」で

たとえば、夫婦げんかをしたとか、前の晩に飲み過ぎとか、財布を落としたとか、そういう“心と体の調子を乱すこと”は、エンジンビルダーがシーズン中に最も避けなくてはならないことなのだそうだ。
人が暮らしていく上で、こうした「外乱」は少なくない。これを遠ざけるのは、なかなか大変なことのように思えるが、その理由をエンジンビルダーの阿部さんはこう語る。
「頭の中からあらゆる雑念を取り払って、“目の前のエンジンを期日までに組み上げる”ことだけを考えていなければできないほどのものだからですね。こんなことを言ったら、レースファンの人はガッカリするかもしれませんけど、我々エンジンビルダーは『完璧な組み立てで、1馬力でも多く出してやろう』とか、そういうことは考えません。エンジンは和泉さんや帆井さんがきっちりやってくれていますから、きちんと組み上げれば馬力も出るし、耐久性も満足させられるはずなんです。『ライダーがあんなことを言っていた』とか『こんなことを言っていた』みたいなこともできるだけ考えません。そのくらい、集中力が必要なんです」
まさに、“全身全霊”で取り組むべき仕事。それがエンジンの組み立てという工程なのだ。

「例えば……」
阿部さんが持ち出したのは「カムギア」というパーツと、 「ピックゲージ」と呼ばれる測定器具だ。

「RC212Vのカムシャフトは、市販車のそれと違い、クランクシャフトからギアを介して動かされています。極端な話、市販車ならチェーンを一本掛けておしまいなんですが、MotoGPマシンの場合は、いくつものギアを組み合わせていかなくてはいけないんです。このゲージは、歯車同士の“遊び”を計測するためのものです」
細いゲージを歯車の「谷」に差し込むと、文字盤の針が動く。1目盛りは10ミクロンだが、阿部さんはこれを5ミクロン(=0.005mm)まで読み取るそうだ。──人間の髪の毛がおよそ70ミクロン(0.07mm)とか80ミクロン(0.08mm)だというから、0.005mmというのがどのくらい小さなものか、おわかりいただけるのではないだろうか。このかみ合わせがきつすぎると動きが渋くなるだけでなく、オイルの巡りも悪くなり、耐久性に悪影響を及ぼす。逆にゆるすぎると、ガタが大きくなり、ギアの破損に繋がる。髪の毛一本分ほど微妙な調整をするわけだが、難しいのは、これが1組や2組のギアの話ではなく、いくつものギアを組み立てた状態でベストの状態にしなくてはならないという点だ。「もはやパズルみたいなものですよね」と、阿部さんは笑う。

それだけでも気が遠くなるような作業だが、最終的に頼りになるのは、自分の「手」の感覚なのだという。
「ゲージはたしかに寸法をミクロン単位で計測できますけど、当然それでいいのか、悪いのかという判断はしてくれません。組み上げた状態でクランクシャフトを回してみて、本当にきちんと適切なかみ合い方をしているのかどうかを、私自身が手で確かめなければならないんです」

さらにこの「職人芸」は、「手先の感覚も用いてエンジンを組み上げる」ことにとどまらず、きちんとレースのスケジュールに合わせて回していくことも含まれる。
「週末にオーダーを受けて、次の週の金曜日には組み上げて、テストまで終わらせた状態で発送をしなくてはならないようなことも、しばしばです。だから、これを “いい” “加減” に組み上げていくのが大事。何ヶ月もあったら、それは最高の精度で組み上げられるかもしれませんけど、レースには間に合いません。どのくらいの精度を求めたら、エンジンとしての完成度と、厳しいスケジュールを両立できるか。このへんの感覚は、どんなに機械が発達しても、人間の手でコントロールしていくしかないわけです。まあ、こんなことを言ったら格好つけているみたいに思えるかもしれませんけど、『バッチリ組み上げてやるから、俺にまかせておけ』っていうことですね!そのくらい、全てを完璧に仕上げられるように取り組んでいますし、僕らはそれで勝利に貢献したいと思っています」

実用化から百数十年、
いまだ神秘的な「内燃機関」

ついひと昔前まで、エンジンはまさに「神秘の世界」だった。
あの美しい鉄の塊の中で、いったい何が行われているのか、完全には明らかになっておらず、何をすればパワーが出るのか、どうすれば耐久性を高められるのか、エンジニアたちは体当たりで探っていくしかなかったわけである。もしかすると、中には「失敗作」もあったかもしれないが、未知のものに挑む開発者たちの野心と情熱が見て取れるという点が、エンジンというファクターを、より一層魅力的なものにしていたとも言える。
Hondaは、そんな「エンジン」の分野で、いつでもトップランナーだった。

ところが、現代ではパーツの寸法がわかるだけで、性能を導き出すことができるのだという。
この事実に驚くと同時に、実物ではなく机上でものごとが行われることに対する、一抹の寂しさを感じないでもなかったが、それは早計だった。

コンピューターによって導き出された「理想的な出力特性」とは、エンジン単体で見ればそれで完成形であろうが、これは世界で最も速いライダーとバイクを決める舞台でレーシングマシンを走らせるためのものであり、ライダーが「うん」と言わないことには何の価値もないこと。そして、開発されたエンジンは「人」の手によってしか形にはならないということ。これらはエンジンから「神秘」が失われつつある現代でも、決して変わらないことだと再認識できたのは、非常に大きな収穫であった。

バイクが人間によって走らせられるものである限り、そこで用いられるエンジンは「人」だけが生み出しうるものなのだ。これからも、「究極のエンジン」を追い求め続ける開発者たちのがんばりに、注目していきたいものだ。

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エンジンビルダー 阿部

ミクロン単位の寸法を計測できるピックゲージと呼ばれる器具。「精密機器」であるRC212Vのエンジンを組み立てるために欠かせないものだ。

これはバルブタイミングを計るための器具。デジタルでもよいのだが、針の動き方なども大切な判断基準になるため、あえてアナログにこだわっているのだという。

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