国内フォーミュラ Honda Racing
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小暮卓史 第1戦 富士スピードウェイ
 

 こんにちは、小暮卓史です。今年はチームを移籍して、AUTOBACS RACING TEAM AGURIからフォーミュラ・ニッポンに出場することになりました。エンジンもシャシーも新しくなり、またスタッフの方々も初対面の方ばかりなので、非常に楽しみにしています。また金石さんが監督になりとても心強いです。

 僕は1999年にデビューして、2001年から全日本F3選手権に参戦し、2003年にフォーミュラ・ニッポン(以下FN)にステップアップしました。昨年からはSUPER GTにも参戦しています。今年もTAKATA童夢NSXを駆り、Team Honda Racingから参戦します。

 今年はこのサイトで、僕のFN参戦レースレポートをお送りします。

<予選>
 金曜日の公式合同テストが4番手で終わっていることもあって、さらに上を目指してマシンセッティングを変更して予選1回目に挑みました。
 セクター2などの高速コーナーのバランスはそれほど悪くありませんでしたが、セクター3などの曲がりくねったコーナーなどでは、どうしてもマシンの挙動がピーキーになってしまい、特にリアの挙動にそのような症状が出てしまいました。午前中のセッションで、メインに使う予定だった2セット目のタイヤもタイムがイマイチ伸びず、結果、順位は10位でした。

 これを踏まえて、予選2回目では、セットを変更しました。セッション後半、立て続けに2セットのニュータイヤを投入しました。セット変更の甲斐があったのか、セクター3のバランスも少し改善出来ました。しかし、まだまだセッティングが決まらず、結果として7番手に終わりました。
 2回目の予選の方が若干路面が良くなり、タイムが自分を含め、周りもあまり上がらなかったため、午前中のタイムがそのまま総合のタイムとなりました。

<決勝>
 雨で迎えた決勝レース。雨が強いため、セーフティカースタート。しかし、予想外だったのは3〜4周ローリングをしたかと思ったら、赤旗でレースが中断となってしまったことです。ドライバーとしては走りたかったのですが……。
 再スタートが決まり再度ローリング開始、と思ったらフォーメーションラップでエンジンストール。しかし、その後すぐに赤旗となり、再度レース中断で、僕としては助けられたカタチとなりました。ドライバーの僕自身としては、早くレースがしたいという気持ちがとても強くありました。何せ、この1週間はすべて今日のためにあったわけですから。しかし、残念ながら、このレースは中止になってしまいました。
 僕としては、燃え尽きることができない、ストレスの溜まるレースになってしまい、また、レースを見に来てくれたファンの方にはレースを見ていただく事が出来なくてとても残念でした。
 いつ始まるか分からないレースだったのに、最後まで残ってくれたファンの方々には感謝の気持ちでいっぱいです。今回の分も、次の鈴鹿に向けて頑張りますので、応援をよろしくお願いします。

 
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