30年以上の歴史を誇る過酷なラリーレイドで
過去5度の優勝経験のあるHondaが再び頂点を目指す


2013年、24年ぶりにダカールラリーに参戦したTEAM HRC。12年4月の参戦決定からわずか8カ月の準備期間で参戦したダカールラリー2013では、エルダー・ロドリゲス選手(ポルトガル)、ハビエル・ピゾリト選手(アルゼンチン)、ジョニー・キャンベル選手(アメリカ)の3選手を起用しました。途中でマシントラブルに見舞われながらロドリゲス選手が総合7位、ピゾリト選手が総合8位、キャンベル選手は総合40位という結果で大会を終えました。


世界で最も過酷なモータースポーツと呼ばれるこのダカールラリーについて、モータージャーナリストの多聞恵美氏が、大会への抱負や新型マシンのスペック、ダカールラリーの見どころなどを、山崎勝実ダカールラリーTEAM HRC代表に質問。そして、バイク専門誌『FRM(フリーライドマガジン)』編集長の三上勝久氏にも解説に加わっていただきました。ぜひご覧ください。


多聞恵美(以下、多聞) まず、ダカールラリーそのものについて、私はあまり知識がないのですが……。


三上勝久(以下、三上) では、僕から簡単に説明を。ダカールラリーは、1978年にティエリー・サビーヌ(※1)というフランス人冒険家が、フランスのパリからアフリカ・セネガルの首都ダカールまで、砂漠を越えて走る冒険、すなわちラリーを企画しました。79年に「オアシス・ラリー」という名称で開催したのが第1回大会。サハラ砂漠を越えて走る過酷なラリーは話題を呼び、すぐに大人気になりました。第2回大会からはFIM(※2)の公認を受けた公式レースとなり、多数のワークスチーム(※3)が参戦を開始。ヨーロッパを中心にブームになっていくんですね。第3回大会から参戦を始めたHondaは、1982年の第4回大会で初優勝。86年の第8回大会から89年の第11回大会まで、ワークスマシンであるNXR750(※4)を送り込んで4連覇を達成しました。2007年大会までは、毎年アフリカを舞台に開催されていましたが、08年大会がモーリタニア・イスラム共和国の政情不安を理由に中止され、09年からは南米に舞台を移して開催されています。Hondaは89年の優勝を最後にワークス参戦を休止していましたが、2013年に24年ぶりに復帰した、というのが簡単にまとめた歴史ですね。


多聞 ダカールラリーには、そんなに長い歴史があるんですね! それに、世界規模で人気があるんですね。


山崎勝実(以下、山崎) 開催地である南米では特に人気がありますよ。鈴鹿8耐やMotoGPを毎日毎日、移動しながら開催しているようなものです。ダカールラリーでは、数百名の選手とそれを支えるチームが、2週間にわたって南米の街を旅していくんですが、現地の人気は熱狂的と言えます。沿道からビバーク(※5)まで人だかりになります。


三上 それがアフリカで開催されていた時代から大きく変わったところですね。


山崎 そうですね。人里離れた砂漠の中でも、わーっと人が集まってくる。「一体どこから来たんだろう」と不思議に思うほどの人気ぶりです。


多聞 ダカールラリーといえば、砂漠を走るイメージがありますが、実際にどんなところをどんなふうに走るんでしょうか? 鳥取砂丘みたいなところも走りますか?


山崎 あらゆる路面があります。サボテンが一面に生えているような荒野が地平線まで続くところもあるし、岩、土……本当になんでも。鳥取砂丘みたいな砂漠もありますが、もっときめの細かい、天ぷら粉のような砂の上を走ることも多いです。止まると蟻地獄のように沈んでしまう柔らかい砂のエリアも多いため、パワーがあり、軽いマシンでないと走ることができません。


三上 毎日、朝にスタートして、岩や砂の大地を450km~800kmくらい走る。その走行時間の合計を競うのがラリー競技で、ダカールラリーの場合は1日の休息日を挟んで10日以上続くんです。ダカールラリー2014の場合は、総走行距離が約8700km。青森から鹿児島までを3往復するのと同じくらいの距離を走るというからすごいですよね。

(左から)多聞恵美、山崎勝実ダカールラリーTEAM HRC代表、三上勝久

歴史や魅力のほかに、標高が1000mを超えるコースや、1日で約1000kmを走る日があるなど、ダカールラリーの過酷さも語られた

ダカールラリーでの走り(1986年大会)

1986年大会でHondaのNXR750を駆り、水が流れる悪路に突き進む大会優勝者のシリル・ヌヴー選手

Hondaのこれまでの成績

開催年 参戦台数 最高順位
1981年 4台 6位
1982年 4台 優勝
1983年 4台 2位
1984年 5台 3位
1985年 2台 5位
1986年 6台 優勝
1987年 4台 優勝
1988年 7台 優勝
1989年 4台 優勝

(※1)ダカールラリーの創始者。「アビジャン~ニース」と呼ばれる、コートジボワールの首都アビジャンから南フランスのニースまでの約1万kmを走るレースでサハラ砂漠を走り、そのとき抱いた感動を多くの人に知ってもらいたいと、ダカールラリーの構想をスタートさせ、1978年に第一回大会を開催した。

(※2) Fédération Internationale de Motocyclisme(国際モーターサイクリズム連盟)の略で、MotoGPやモトクロス世界選手権など、各種モータースポーツ競技を、正式な世界選手権として、国際的に統括している組織。

(※3)自動車およびバイクメーカーが運営するチームのこと。

(※4)Hondaがダカールラリーを戦うために開発し、1986年にデビューしたマシン。デビューイヤーに優勝を飾ると、1989年まで4連覇を果たした。

(※5)ラリー参加者が寝泊まりをするキャンプ地のこと。ライダーだけでなく、チームスタッフもこの場所を利用する。

多聞恵美

ダカールラリーの歴史から始まり、現在の走行ルートやその人気など、山崎代表や三上編集長に疑問を投げかける多聞さん

2分で分かるダカールラリー解説ムービー『What's “DAKAR Rally”?』 (01:58)
第2章 敗北から気づいた勝利に必要なピース