毎年初日の出には、バイクのメンバーと近くにある展望台へ拝みに行くルートを恒例行事として計画しているが、最近は大晦日の深酒が祟って寝過ごし、メンバーには合わせる顔がない始末。
しかし、元旦に限らず、いつどこにいても日の出は感動的なシーンで、季節によってはまさしく大きな太陽を拝むことができるのである。
とはいえ、なかなか条件が整わないと、大きな太陽を見ることはできないのであるが、夜明け前、まだ世間が眠っている時間帯に起き出して、絶好のポイントまで移動する手間暇を考えると、その気はあっても実行できないものである。
冬のその日は、気合を入れて凍てつく寒さの中、目覚まし時計をセットしてなんとか起床し、アコードを使って1km足らずの海岸へ行き、水平線から今にも姿を現してくる太陽を待っていた。
水平線が橙色に色づき始めると、それまで海と空の境目がはっきりしなかったが、見る見る東の空が一面に明るくなってきて、雲ひとつない大きな空が赤く焼けるように輝き始めた。
いよいよ日が昇る瞬間を迎えるが、最初遠慮がちにちょっぴり姿を出した太陽が、あっという間に赤い部分が広がって、ほんの数分で真っ赤な太陽全体が姿を現してきた。
静寂の中で、一日が始まるかのような日の出を見ていると、あまりにも感動的で神秘的な光景を目の当たりにしているようで、寒さも忘れてしばし呆然と見とれていた。
早起きの人にとっては、ごくありふれた当たり前の出来事かもしれないが、私のような朝に弱い人には、この厳粛な光景は非日常的で新鮮な感動を呼び起こしてくれる、滅多に出会えない出来事なのである。
私は決して日の出マニアではないが、素直な気持ちでこの感動に浸っていたいと日の出を見るたびそう思う。
改めて、北東の方向に膨張したかのように大きく出現する太陽を見る機会は、季節や条件によって現れ方が異なることから、また来春の宿題として残しておくことにしよう。
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