
エンジン開発者に突撃 いいエンジンって何?Vol.2 S660「夢みたいな軽自動車エンジン」
SPORTS DRIVE WEBでは、皆さんからのご意見を集めてきました。その中でも特に多かったのが「エンジンのことについて知りたい」というご意見でした。 中でも、多く寄せられてきたのは「突き抜けるように回る自然吸気エンジンこそHondaのアイデンティティだったのでは?」という疑問の声でした。たしかに、いまラインアップしているスポーツカーのエンジンはいずれもターボエンジン。果たしてそこに「Hondaならでは」のこだわりはあるのでしょうか。満を持してエンジンの開発者に突撃してみることにしました。
答える人
本田技術研究所
四輪R&Dセンター 主任研究員
瀬田 昌也
1983年入社。第2期F1でエンジン開発を担当。ステップ ワゴン、CR-V、シビックなどのエンジン開発を担当し、最近ではS660とN-BOXのパワートレイン開発責任者を経験。
聞く人
SPORTS DRIVE WEB編集部1号
愛車はFIT RS(MT)。奥さんがクルマに疎いのをいいことに、「ふつうのクルマは
マニュアル車」だと吹き込んでいる。
前回は「どうしてターボなのか」について伺いましたが……トップバッターは「S660」のエンジンです。やっぱり「ビート」のNAエンジンがいいという方、多くいらっしゃいますよね。
「エンジンをギンギンに回して走る、あの感じがいとおしい」というのは私もよくわかります。その上で、やっぱりスポーツカーの楽しさを未来に受け継いでいくためには、時代が進んだぶんの進化が必要だと思います。もっとクリーンでパワフルで、ビートに負けないくらいおもしろい。そんなエンジンを作ろうと思いました。
特に、かつて第二期F1のエンジン開発に携わっていた身からすると、当時ものすごく苦労しながら採用していた技術が軽自動車にまで採用できる……という夢みたいな時代ですからね。
ではS660のエンジンの「夢みたいなところ」、たっぷり教えてください!!
インジェクターが2本!
吸って、燃やして、出して、という流れの中で紹介してみましょうか。たとえば、燃料を噴射するインジェクター。S660の場合は1気筒につき2本取り付けられています。
これはどういう?
ご存知のとおり軽自動車の最高出力は64馬力が上限と決められていますが、それならば燃料を1グラムもムダにせず達成できたほうがいいに決まっていますよね。燃費が良くて困る人はいませんし。
たしかに。そのほうが助かります。
そうなると、吸入行程の限られた時間の中で、ガソリンをどれだけ細かい粒子にしてシリンダー内に送り込めるか、というのがカギになります。1本のインジェクターでまとめてドバッと噴くと、あちこちに燃料が付着してムダが多くなりますが、2本に分けて、1本あたりの噴射量を少なくしてやると……?
左が2本のインジェクターで燃料を噴射している様子。右のものに比べて、均一化された燃料の粒子が送り込まれるのがわかる。
上が2本のインジェクターで燃料を噴射している様子。下のものに比べて、均一化された燃料の粒子が送り込まれるのがわかる。
きれいに霧になっているように見えますね。
つまり、燃料が持っているエネルギーを余すことなく使い切れるようになるわけです。
そのあたりの「環境性能」ってあんまりエキサイティングな話に思えないかもしれませんが、実はレースの世界だって1グラムの燃料からどれだけ効率良くパワーを絞り出すか、という勝負です。第二期F1の頃、ターボエンジンだけが燃料タンクの容量制限を課され、1000馬力のクルマが125Lのタンクで、300kmの距離を走りきらなくてはいけない……という時代があったんですよ。どうすれば無駄なくガソリンのエネルギーを使い切れるのか、インジェクターの設計は相当苦労した思い出があります。
そうした時代を経たからこそ、こんなに精度高く燃料を噴射できるインジェクターができたのだとも言えますね。
その通り。第二期F1の頃に採用された「夢のテクノロジー」でしたが、技術が進んだからこそ軽自動車にも使えるようになった。「昔のよさ」というのもわかりますが、エンジン開発者としてはやっぱり「今」って素晴らしい時代です。というわけで、次は「燃やす」です。
「燃焼」もより理想的に
はい。2本のインジェクターによってこまかい霧になった燃料を、どうやって燃やしたら最大限のパワーを生み出せるか、ということですね。
カギを握るのは、このピストンの形。
S660のピストン。上部がくぼんだ形状になっています。
……これのどこに?
S2000のそれと比べてみましょう。ピストンのてっぺんのかたちがだいぶ違うのがわかりますか?
S2000のピストン。上部が盛り上がった形状になっています。
たしかに、S660の方が窪んでいますね。S2000のは、盛り上がっています。
これは、燃焼室の中に吸い込まれた混合気が縦に渦を巻く「タンブル」という流れを強化するための形なんです。ピストンの頭にこのくぼみを設けてやると、燃焼室内に吸い込まれた混合気が、くぼみの「斜面」に当たって縦に回る渦になります。圧縮行程の最後では、さらに乱流エネルギーが高まります。ここで一気に点火してやることで、燃焼室いっぱいに、すばやく燃え広がる理想的な燃焼が可能になるわけですね。
なるほど、なんとなくイメージはできます。
すばやく燃え広がるから、燃え残りも少なくなって、無駄なくエネルギーを取りきれます。これも、作り手としては夢みたいな話なんですよね。空気がどうやって吸入されて、燃焼し、排出されるか。コンピューター上でかなり高精度にシミュレートできるからこそ、こういう設計が可能になったわけなので。
瀬田さんがF1のエンジンに関わっていたころは、どんな研究をしていたんです?
もっと色々なものが「手探り」でした。吸気ポートを手作業で削り、シリンダー内に入った空気の量を試験機で測ってみて、「あいつのより俺の方がよくできてた!」みたいな、ね。削りすぎて穴が空いちゃった……というのもあったな。
アナログですね……。
まあ、古き良き時代という感じで懐かしくはありますけど、あの時代にはもう戻れません。仮にいい数値が出ても、それがなぜなのか完全には解明されていなかったということですからね。いまはそんな風に手作業で削ったりしなくても、理想的な燃焼のための形状を作り出せる素晴らしい時代です。
かつてのF1も羨むようなテクノロジーで、極限まで効率的に64馬力を絞り出すエンジン。それが今の軽自動車には搭載されているわけですよ。