VTECとHondaエンジンの30年 Vol.4 「匠」たちが語るVTEC

VTECとHondaエンジンの30年Vol.4 「匠」たちが語るVTEC

Hondaエンジンのアイコンであり、スポーツドライビングファンの心を長年熱くし続けてきた魅惑のメカニズム、VTECも誕生から早30年。このへんで「VTEC史」を振り返ってみるのはどうでしょうか。「VTECって何?」「VTEC誕生秘話」「VTEC工場」に続き、最終回となる今回はVTECの製造に携わる「匠」たちと、Hondaのエンジン開発者の「VTEC談義」をお送りします。誕生のときから進化の過程で生まれた「日の目を見なかったVTEC」、未来のことまで、ディープな話題をぜひお楽しみください。

話す人

田中精密工業株式会社
開発統括部 統括部長
中西 智英
2001年入社。シビック、Nシリーズなどのアルミロッカーアーム量産開発責任者を経験。2004年~2008年、本田技術研究所ゲストエンジニア。

田中精密工業株式会社
開発統括部 技術部
西沢 裕之
1987年入社。初期のVTECロッカーアームより、製品開発ならびに生産技術領域に携わる。1995年~1999年 本田技術研究所ゲストエンジニア。

田中精密工業株式会社
営業統括部 営業部
小野 靖直
1992年入社。シビックや V6アコードの量産設計責任者を経験し営業部へ異動。2000年~2003年、2007年~2008年、本田技術研究所ゲストエンジニア。

田中精密工業株式会社
開発統括部 技術部
田中 伸佳
2007年入社。ロッカーアームの量産製造・開発担当を経て現在はレース部品を担当。2013~2016年、本田技術研究所ゲストエンジニア。

本田技研工業株式会社
四輪事業本部 ものづくりセンター
エグゼクティブチーフエンジニア
新里 智則
1984年入社。初めてのVTECエンジンである1.6L DOHC VTEC、B16A型エンジンの開発に携わったのち、さまざまなHondaエンジンの開発に携わる。現在は、産官学で内燃機関の進化に取り組む「自動車用内燃機関技術研究組合(AICE)」の理事も務める。

本田技研工業株式会社
四輪事業本部 ものづくりセンター
チーフエンジニア
松持 祐司
2000年入社。エンジン設計担当として、S2000、NSXのマイナーチェンジやVTEC開発担当を経て、シビック TYPE R用2.0L VTEC TURBOエンジンの開発責任者を経験。現在はパワートレーン戦略の立案に従事。

本田技研工業株式会社
四輪事業本部 ものづくりセンター
チーフエンジニア
林 泰宇
2000年入社。 V型6気筒エンジンの設計担当としてVTECとVCMの開発を担当した後、ハイブリッド用の2L高効率ガソリンエンジンの開発に携わる。現在は小型系ガソリンエンジンの開発を担当。

田中精密工業と「VTEC」の出会い

──田中精密工業さんとHondaとの関わりは、どんなところから始まったのでしょう?

中西

創業者の田中儀一郎が、急成長していたHondaと取引をしたいという想いから浜松製作所に通い詰めて、試作図面をいただいたところから関係が始まったと聞いています。

田中精密工業株式会社 開発統括部 統括部長 中西 智英

──では、相当古い付き合いですね。

中西

はい。その後、田中と本田宗一郎さんは公私ともに親交を深め、ヘリコプターで富山に来県された宗一郎さんが工場視察をしたり、一緒に立山登山を楽しんだりもしたようです。登山のときの写真は今でも当社の各拠点に飾られています。最初期の製品はピストンピンなどから始まり、その後プランジャーや油圧タペットのような高精度加工にも範囲が拡がっていきました。

本田技研工業株式会社 四輪事業本部 ものづくりセンター エグゼクティブチーフエンジニア 新里 智則

──VTECとの関わりはどのように?

新里

もちろんロッカーアームという部品自体は一般的なものです。ただ、VTECをつくるにあたっては、ロッカーアームとしての機能よりも「切り替えピンのピストンを内蔵する」といった部分がはるかに重要になってきます。それならば、当時から高精度加工を得意としていた田中精密工業さんにお願いしましょうということになったようです。

本田技研工業株式会社 四輪事業本部 ものづくりセンター エグゼクティブチーフエンジニア 新里 智則

──では、前例の無い機構を、どうやって加工しようかという試行錯誤も重ねながら。

田中精密工業株式会社 開発統括部 技術部 西沢 裕之

西沢

私は、入社してすぐ、VTECロッカーアームの試作に携わりました。初めて見るような図面で、まずはそれを読み解いて「こんな加工できるの?」というところからのスタートでしたね。最初はどんなものになるのか、まったく想像も付かなかったですね。

何もかも初めての部品を、どうつくるか

──前例の無いものだけに、これを量産していくということに関してはものすごい苦労があったのではないかと思いますが。

西沢

やはり加工の精度の厳しさでしょうか。量産である以上、どうしても「公差」というのは存在しますが、それをいかに小さくできるか。たとえば、入口と奥で径に差があると、ピンが入っていきません。径の差と言っても、数ミクロンという話ですよ。

本田技研工業株式会社 四輪事業本部 ものづくりセンター チーフエンジニア 松持 祐司

松持

例えば、「ピンの刺さり方」は、計算ができないんですよね。そういう計算でうまくいかない、何ミクロンというところを変えていく。微調整するんですけど本当にミクロン単位なので、最初は本当に苦労の連続だったのではないかと……。

──誕生してからそのあとも、次々に新しいタイプが登場しました。

本田技研工業株式会社 四輪事業本部 ものづくりセンター チーフエンジニア 松持 祐司

松持

ひとつの型式でうまくいったからといって、それが他にも使えるかというとそうでなかったりするのも難しいところ。

林

あとは加工もですね。たとえばこれなんかはシャフト穴の中に半月状の小さな溝がついています。これは給油用です。

松持

こういう穴とか切り欠きとかは、空けるのも難しいんですけど、空けた後も洗浄したり、切り粉が残らないようにブローしたりといった必要があるので、これも大変なんです。

新里

できあがったロッカーアームをすべて検品して、作動チェックをするというのもVTEC以前にはあり得なかったと思います。そういったことにも一緒にチャレンジして、ともに作り上げてきたという印象が強いですね。

VTECの「アルミ化」の中で

──最初のロッカーアームは鉄のスリッパータイプでしたが、VTECはその後も時代が進むごとに、高度化していきますよね。

松持

初代インサイトから始まった軽量なアルミロッカーアームはその代表例ですよね。

小野

アルミ鋳造に関しての基礎研究はその以前から少しずつ進んではいましたが、その時点で「我々は最後発のダイキャストメーカーだ」と言っていたような気がします。立ち上げのときが一番大変でしたね。

田中精密工業株式会社 営業統括部 営業部 小野 靖直

──アルミにすると、どんなところが大変なんでしょうか?

小野

アルミの鋳造は、鯛焼きの型みたいなものの中に溶けたアルミを流し込んでつくります。ただ、「流し込めばできあがる」というわけではなく、流し込むときの圧力のかけ方や流れるスピードによって、仕上がりの品質が全く変わってくるんですよ。

──繊細なんですね。

小野

例えば流し込むスピードが速すぎても遅すぎても、小さな気泡が入って中に「鋳巣(ちゅうす・いす)」ができてしまったりして、もろくなってしまいます。そうすると、部品になったときに、そこを起点に割れてしまうんです。

※鋳造の際に空気などが入り込んでできる、密度の低い部分。「鬆(す)」とも書く。

田中

鋳造されたロッカーアームは、製品以外の場所にも枝分かれして伸びて行っている部分がありますよね。

──エヴァンゲリオンに出てくる、「使徒」みたいな形の……。

田中

「ランナー」と言うんですが、あの部分があることで溶けたアルミの流れ方がコントロールされ、中身の詰まった、しっかりとしたロッカーアームに仕上がるんです。

田中精密工業株式会社 開発統括部 技術部 田中 伸佳

新里

鋳造は生き物だ、とよく言われます。今でこそコンピューターで鋳造シミュレーションなどもできますが、20年前にはそんなものはありませんから、すべて試行錯誤で、できあがったものを輪切りにしては「ここにスが入っている」なんてやってみて。

中西

いまはCTスキャンも活用しながらやっています。材料もHonda専用ですね。

──材料まで。

本田技研工業株式会社 四輪事業本部 ものづくりセンター チーフエンジニア 林 泰宇

松持

ただでさえ難しいアルミ製ロッカーアームですが、Hondaとしての要求基準は非常に高くて、シフトミスをしてあり得ないような回転数に達してしまった場合も想定した強度が求められます。

林

その過酷な条件をクリアしようとすると、おのずと材料も専用になっていきます。シリコンなどの添加物の配合が他とは違う、特別な「Honda専用材」になっているんです。「アルミならなんでもいい」ってわけじゃないんですね(笑)。

本田技研工業株式会社 四輪事業本部 ものづくりセンター チーフエンジニア 林 泰宇

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