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Vol.1 -Concept- 真紅のHマーク、ぶっちぎりの美学

Vol.1 -Concept- 真紅のHマーク、ぶっちぎりの美学

さあ、これをどれだけ人が驚くようなクルマにできるだろうか。
パッケージ効率に優れ、その経済性、機能性、合理性で世界のFFコンパクトカーの模範となり、
1972年の誕生以来世界で多くの人々が生活を共にする──。
目の前にあるのは、Hondaにとって大きな意味を持つ、そういうクルマだ。
この「シビック」を使うということ、ドライバーに究極のドライビングプレジャーを
提供するということ以外に何も決まってはいないし、どんな目標を描いてもかまわない。
誰も「やりすぎだ、やめろ」などとは言わないだろう。
開発責任者としての命を受けた八木 久征は、思いを巡らせた。
──あとは、どれだけ自分たちが常識外れの目標を定められるかどうかだ。
なぜならこれは、真紅のHマークをフロントグリルに戴いた「TYPE R」なのだから。

やるなら頂点から

TYPE Rの象徴であるアイボリーのボディカラー、真紅のHマーク。そのルーツは1964年8月2日、ニュルブルクリンクで開催された西ドイツGPに現れたHondaのF1マシン、RA271だ。
「やるなら頂点から」。
二輪車メーカーだったHondaは四輪車をつくって間もない時期、あらゆるステップを飛び越して、いきなり世界の頂点のレースへと挑んだ──そこにあったのは「チャレンジングスピリット」などという一言で言い表せるものではなく、強いて言うなら、「狂気」に近い。八木はそう思う。
戦後間もない時期、欧州の社交界であるF1に遠く離れた極東から乗り込んでいき、幾多の困難を乗り越えて翌1965年、わずか11戦目にして掴んだ勝利。「ひとつひとつステップアップしよう」と、お行儀のよい目標を定めていたならば、絶対にたどり着けなかった境地だったということは、間違いなく言える。
自分たちは、そんなメンタリティを持ったエンジニアたちの末裔だ。そして自分たちにしかつくれないクルマとは、そこから生まれてくるに違いない。
ならば、目標はおのずと見えてくるではないか。
──フロントにエンジンを搭載し、フロントタイヤを駆動して走る「FF車」。世界に数え切れないほど存在するそれらの中で「最速」を目指す──。
FF車が世界にあまねく行き渡ることになった「原点」に、限りなく近い位置に存在する「シビック」として、それはふさわしい目標に思えた。

非常識な性能目標、
圧倒的開発スピード

これまで「FF量産車最速」であったクルマの存在を意識しないはずがない。とは言え、たとえばの話それにコンマ1秒先着したところで、いったいなにを誇れるのだろう?2位などもってのほかだが、僅差の1位というのも、Hondaのエンジニアとしては我慢ならない。過去の「CIVIC TYPE R」も、そのライバルとされてきた欧州のホットハッチも追いつけないほどのパフォーマンスを、世界で最も過酷とされるコースで証明できれば、誰も「FF量産車最速」であることに疑問など持たなくなるだろう。
やるなら「ぶっちぎり」だ。
FF量産車最速へ挑む舞台は、HondaのF1マシンがデビューしたニュルブルクリンク・北コースと定められた。

300mもの高低差、8kmもの直線を持つニュルブルクリンクでは、エンジンパワーがものを言う。目標達成に必要だと目された280PSという最高出力を実現するにとどまらず、その上の性能を求めたことで、エンジンは設計をいちからやりなおすという事態に直面していたが、八木はエンジン開発陣の燃えたぎる闘志に油を注ぎ続けた。
「早晩不毛な出力競争になってしまいそうなパワーではなくて、『誰も追いつけない』くらいのものであれば、胸を張って『最速』であり続けられる。俺たちHondaなんだから、そういうものになりたいでしょ?」

とは言え、FF車として常識破りのパワーも、路面に伝わらなければ、そして「止まる」ことができなければ何の意味も持たない。
強烈なトルクステア、コーナーからの立ち上がりにおける強いアンダーステアを手なずけなければならないし、高速からの制動では、高い耐フェード性も求められる。
サスペンション、ステアリング、ブレーキ、そのいずれも既存の技術だけでは310PSというパワーを受け止めるには十分なものではなかった。
八木は、シャシー開発の現場にも「新たな技術」の早期投入を求めた。

「私たちだって研究中の技術なんですよ。あと少しあれば形になるんです。それまで待てませんか」
技術をものにするのに時間がかかるのはわかる。しかしライバルが自分たちのポジションに進む前にそれ以上のスピードで進化を続けなくては、「ぶっちぎり」ではない。これはレースと同じだ。
誰もが思いつかないような非常識な性能目標を掲げる。そのために、Hondaが積み重ねてきた技術を余すことなく投入する。そして、圧倒的開発スピードでそれらをかたちにしていく──。Hondaの勝機はそこにこそあるのだ。
「今、すぐに走らせたいんだよ。その技術があれば、『世界一速いFF車』の称号が俺たちのものになるんだよ。なんとかしようよ。いや、なんとかするべきだよ」

圧倒的開発スピード。
しかし、それは「最短ルート」を歩むことと必ずしも同義ではない。
リアシートを取り払いでもすれば、「最速」への道も一気に近づくだろうが、これは「シビック」だ。安易な「近道」を選んでは「シビック」ではなくなってしまう。
「普段は4人乗れて、シートを畳んだら1300Lもある荷室が現れてタイヤも積めちゃう。それでいて文句なしに『最速』。そんなクルマ他にある?ウチがやらないでどこがやる?」
「………」
誰よりも早く、結果を出さなくてはいけない。しかし、誰もが思いつくような手法によって実現させたのでは、「ぶっちぎり」ではないのだ。
「決まりだ。シビックのユーティリティは何も我慢させることなく、ニュルに耐えられるボディをつくる。やるしかない。ここまでやれば、俺たちが目指す究極のTYPE Rにまた一歩近づくんだから」

「TYPE Rの明るい未来」を
目指して

Hondaとしても、かつての「NSX-R」以来となる1度目のニュルブルクリンクテストでも、「ライバルとなる欧州ホットハッチのラップタイムを上回る」という成果は得られた。しかし、問題はドライビングフィールだ。ハイパワーのFF車として想定される弱点をほとんどすべて持ち合わせたような仕上がりでしかなく、「走る喜び」はそこに存在しなかった。

2度目のニュルブルクリンクに向けて煮詰めたのは、ドライビングフィールの改善である。「最速」であることに加え、ドライバーがそのパフォーマンスを「おそるおそる」ではなく、「思い切り」解放できるようにすることこそ、エンジニアの使命だ。初回のテストで明らかになったアンダーステアなど、ハイパワーなFF車ならではの弱点を解消。
サーキットを全開でアタックするにあたって問題となるトランスミッションへの熱対策をはじめ、完成度を高めることで完成へと一歩近づけた。
「想像できるか?俺たちの目指すTYPE Rの未来が。光り輝くものが見えないか?」
このくらいならば現実的に達成できるだろう、ライバルを何秒か上回ることができるだろう、そんな「限界」を自分に設けさえしなければ──。
困難に直面するたび、八木がチームに訴えかけた「光り輝く未来」が、ようやくひとつのかたちで現実となったのは、2014年5月に行われた3度目のニュルブルクリンクのことだ。
2度のテストを経て、ニュルブルクリンクと鈴鹿サーキットのラップタイムとの間に相関関係があることを見いだしたことで開発スピードは加速。ここで洗い出した課題を徹底的に潰し込んでアタックを仕掛けることで、7分50秒63という最速タイムをマーク。確かに「FF量産車最速」の結果を得ることができたのだ。

7分50秒という「FF量産車最速」タイムは、八木自身が記録したものでは当然ない。だが、ひとたびドライバーズシートに収まり、コースを走り始めれば、「最速」のポテンシャルをたちどころに感じ取ることができた。
停止状態から5秒7で100km/hまで達する圧倒的なパワーを、徹底的にチューニングされた足回りが確実に路面へと伝え続ける。前後マイナスリフトを達成したボディにより時速270km/hにも達する最高速の領域でも安定性を保ち続ける──。
スペックは暴力的なまででありながら、それがコントロール下にあるという自信が全身に満ちあふれる。「最速」を操ることの心地よさは、想像を遙かに越えていた。

ミッションコンプリートだな。さあ、次はどんな『ぶっちぎり』を達成してやろうか──。

誰も想像しないような目標に挑み、乗り越えることこそ「真紅のHマーク」に課された宿命だ。開発を終えてなお、八木の心の中には新たな闘志がふつふつと湧いてくるのだった。

※ 開発車のテスト走行による。 Honda調べ(2015年10月)

 

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