2001年の最終戦、舞台となるのはロサンゼルス郊外に位置するカリフォルニアスピードウェイ。Dシェイプオーバルと呼ばれる一周2マイルのスーパースピードウェイは、最高速度が400キロを超えるハイスピードコース。レース中、各コーナーで4〜5台のマシンが横一列に並ぶ様は圧巻。
予選 11月3日(土)
プラクティスと同様、非常に接近したタイムでの戦いとなった予選では、エントラント26台中24台までが0.9秒以内にひしめき合うという大接戦となった。そんな中、中野信治が32.356秒で6列目12番グリッドを確保、Honda勢トップのタイムを記録する。以下マイケル・アンドレッティが32.397秒で13番手、午前中のプラクティスで4番手のタイムだったトニー・カナーンが32.432秒で14番手に入り、ここまでがポールポジションから0.5秒以内のタイム差。昨年、このサーキットで1周平均の世界最速記録を樹立したジル・ド・フェランは32.439秒で16番手。ダウンフォースのバランスで苦労したチーム・グリーンは、ポール・トレイシーが18番手、ダリオ・フランキッティが21番手となる。Tカーでのアタックを余儀なくされたルーキーのケイシー・メアーズは20番手に入り、エリオ・カストロネベスは24番手、メカニカルトラブルでアタックを断念したエイドリアン・フェルナンデスは26番グリッドからのスタートだ。
決勝 11月4日(日)
朝から降り出した雨のため、ウォームアップは大幅に遅れて12時10分から15分間だけ行われた。決勝レースは本来のスタート時間から遅れること約1時間、午後1時27分にグリーンフラッグ。近年の500マイルレースの特徴ともいえる、スリップストリームを駆使したパッシングの連続で、レースはオープニングラップから毎周にわたってトップが入れ替わる目の離せない展開となった。
予選ではトップ10に並べなかったHonda勢も、レースが始まると積極的に上位へ。序盤までに5台のHonda勢がトップ10を走行。18番手からスタートしたポール・トレイシーは13周目にトップに立ち、24番手からスタートしたエリオ・カストロネベスも16周目にはトップに躍進。比較的早いペースでレースは展開する。
ところが中盤に指しかかるとメカニカルトラブルに襲われるマシンが続出し、フルコースコーションが相次ぐ。序盤トップに立ったポール・トレイシーやエリオ・カストロネベス等もメカニカルトラブルで戦線を離脱。その後レース中盤以降に積極的にトップ争いを展開したのはエイドリアン・フェルナンデスで、トニー・カナーン、マイケル・アンドレッティらも上位グループに進出。176周目、レースの開始時間が遅れたことで250周のレースが230周に短縮することがアナウンスされた。
好調に見えたエイドリアン・フェルナンデスだが、195周目の再スタートでいきなりスピンを喫してフルコースコーション。スピードが乗ってきた直線でコントロールを失ったマシンはコンクリートフェンスに激突して大破。ドライバーにケガはなかったが、リタイアを余儀なくされる。この時点でレースはさらに220周まで短縮することになった。
202周にグリーンフラッグで再スタートしたレースは各チームとも燃費の心配がなく、最後のラストスパートをかけて全開でゴールを目指す。15台のマシンが同一周回上で最後までトップ争いを展開するが、残り5周となったところでフルコース・コーションが発生。10周の間で5つもポジションを上げてきたトニー・カナーンだったが、結局フルコースコーションが出されたまま220周目を迎えて5位でフィニッシュする。
朝のウォームアップでトップタイムをマーク、期待のかかった中野信治は予選12番手からスタート。序盤はオーバーステア気味のマシンで無理をせず走行。最初のピットインでタイヤとウイングを調整後、バランスの向上したマシンで後半に賭けるが、119周目にメカニカルトラブルに見まわれピットイン。そのまま無念のリタイアを余儀なくされた。
HondaターボV8エンジンは、6年連続のドライバーズチャンピオンと4度のマニュファクチャラーズタイトルを獲得して2001年シーズンを終える。ご声援ありがとうございました。
|