左の赤い船体の船が、この4月に進水した新造船「第2もがみ丸」。右は、昨年船人紀行でご紹介した「第1もがみ丸」。
どちらも主機としてBF90(90馬力)と、補機のBF30(30馬力)が搭載されている。
船客となった俳人・松尾芭蕉が、川波に揺られながら最上川をくだり、「五月雨をあつめて早し最上川」という名句を残したことは、以前この船人紀行でご紹介した。(2015年9月)
芭蕉が最上川を下ったのは、大阪で客死する5年間の元禄2年(1689)のことで、現・山形県新庄市の本合海から小船に乗りこんだ。梅雨時の勢いを増した川水が、川船の薄い底板をゴツゴツと打つのを尻で感じながら、戸澤藩の船番所があった戸沢村の古口を経て、景勝地・最上狭を下っていった。
芭蕉が最上川を下ったのは、大阪で客死する5年間の元禄2年(1689)のことで、現・山形県新庄市の本合海から小船に乗りこんだ。梅雨時の勢いを増した川水が、川船の薄い底板をゴツゴツと打つのを尻で感じながら、戸澤藩の船番所があった戸沢村の古口を経て、景勝地・最上狭を下っていった。
最上川の本合海は、松尾芭蕉が弟子の曾良とともに、船客となった地だ。その乗船地にはふたりの像と記念碑が立つ。一昨年の平成26年(2014)は、芭蕉の没後320年にあたり、重要文化財「奥の細道元禄七年初夏素龍書写奥書」の記念復刻版が刊行された。ちなみに芭蕉が「おくのほそ道」という旅に出た元禄2年(1689)という年は西行の500回忌に当たる。西行の歌枕を辿る旅でもあった。今、最上狭で18隻の船による川下りを観光客に提供しているのが、最上狭芭蕉ライン観光(株)だ。通常航路として乗船所のある古口港から下流の草薙港までの12kmを、約60分かけて下っていく。また貸切り専用航路として、芭蕉が乗船したのと同じ本合海から古口港までの8.5kmを下るコースや、本合海から草薙港までの20.5kmを下る貸切りコースもある。いずれも芭蕉が眺めた風雅な風景を楽しめるとあって、人気の高い川下りコースだ。
その最上狭芭蕉ライン観光(株)が、新たな船を進水させた。
船は「第2もがみ丸」と命名され、山形県の県花である紅花をイメージして、船体が赤く塗装された。遠目にも鮮やかな船だ。
同社の運行管理者の南條裕司氏によると、乗船所が戸澤藩船番所を再現する形を取っていることに合わせ、「第2もがみ丸」のデザインは江戸時代風にまとめたのだそうだ。
たしかに上部構造物である屋形の屋根には船印の代わりに藩紋が描かれているし、よく見れば船首先端に突き出た水押し(みよし)を模った舳先にも藩紋がある。このこだわりで、江戸時代の藩主が御座する川御座船に見えるから面白いものだ。
その最上狭芭蕉ライン観光(株)が、新たな船を進水させた。
船は「第2もがみ丸」と命名され、山形県の県花である紅花をイメージして、船体が赤く塗装された。遠目にも鮮やかな船だ。
同社の運行管理者の南條裕司氏によると、乗船所が戸澤藩船番所を再現する形を取っていることに合わせ、「第2もがみ丸」のデザインは江戸時代風にまとめたのだそうだ。
たしかに上部構造物である屋形の屋根には船印の代わりに藩紋が描かれているし、よく見れば船首先端に突き出た水押し(みよし)を模った舳先にも藩紋がある。このこだわりで、江戸時代の藩主が御座する川御座船に見えるから面白いものだ。
山形県の県花である紅花をイメージし、船体を鮮やかな赤色に塗装した「第2もがみ丸」。スポーツフィッシングのために建造されたOceanMaster31。
乗客定員は25名。黒い屋根に、天窓として装備されたロールブラインドが見える。 
主機としてBF90(90馬力=写真左側)。
BF90のティラーハンドルを握る南條氏。
特注の長いティラーで船外機を操作する。
これが由良氏自作のタイラバ。60グラム、80グラム、100グラムと三種類ある。
愛用するLOWRANCE(ローランス)のGPS魚探でポイントを確認する。