(アコード/ビガー=1976.5〜1984.12)
1976年5月、1600ハッチバック・セダンで初めてアコードを発売したホンダは、〈ゆとり〉と〈調和〉をテーマに、その時代、時代に応じて、ヒューマンな感性とホンダ独創のメカニズム、ハイテクノロジーを盛り込みながら、世界のお客様の要望に巾広く応えてまいりました。
また、アコードは、FF化が急がれる小型市場の中で「モデル・カー」として注目を集め、FF新時代のワールド・クオリティ・カーとして高く評価され、1980年1月には早くも生産累計台数100万台を突破(生産開始以来3年10ケ月)しました。
その後も順調に推移し、翌1981年7月に150万台、1982年12月には200万台の生産累計を記録。この大台を達成した年に、KD(ノックダウン)生産を開始し、その年3,120セットであったものが、米国オハイオ州のホンダ・オブ・アメリカ(HAM)4輪工場のフル生産体制とともに急増、1984年には150,000セットの生産となっています。HAMの生産累計もすでに20万台に達する勢い(194,701台:1984年12月末現在)で、ホンダの海外展開における基本理念「相手国のニーズに合わせた展開」「現地で喜ばれる進出」等々が理解、歓迎されているもので、アコードは生産の面からも国際化の具体的好例として、その実績が高く評価されています。
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アコード・ビガー国内生産実績
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年(昭和) | アコード/ビガー | 累 計 | KDセット生産 |
ハッチバック | サルーン |
1976(51) | 94,973 | — | 94,973 | — |
1977(52) | 219,064 | 23,032 | 337,069 | — |
1978(53) | 217,483 | 111,852 | 666,404 | — |
1979(54) | 168,952 | 146,859 | 982,215 | — |
1980(55) | 151,862 | 186,625 | 1,320,702 | — |
1981(56) | 127,481 | 203,232 | 1,651,415 | — |
1982(57) | 132,730 | 253,757 | 2,037,902 | 3,120 |
1983(58) | 101,589 | 219,274 | 2,358,765 | 65,400 |
1984(59) | 50,343 | 188,871 | 2,597,979 | 150,000 |
合計 | 1,264,477 | 1,333,502 | 2,597,979 | 218,520 |
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(KDセットは累計欄には含まれない)
(自工会資料・ホンダ調べ)
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ホンダFF車生産における アコード/ビカー生産比率
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ホンダFF車生産実績
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年(昭和) | ホンダFF車年計 | ホンダFF車累計 |
1967(42) | 114,141 | 114,141 |
1968(43) | 233,423 | 347,564 |
1969(44) | 280,985 | 628,549 |
1970(45) | 316,814 | 945,363 |
1971(46) | 242,510 | 1,187,873 |
1972(47) | 261,679 | 1,449,552 |
1973(48) | 281,464 | 1,731,016 |
1974(49) | 345,116 | 2,076,132 |
1975(50) | 346,019 | 2,422,151 |
1976(51) | 485,495 | 2,907,646 |
1977(52) | 581,799 | 3,489,445 |
1978(53) | 659,131 | 4,148,576 |
1979(54) | 712,710 | 2,861,286 |
1980(55) | 848,520 | 5,709,806 |
1981(56) | 860,009 | 6,569,815 |
1982(57) | 868,499 | 7,438,314 |
1983(58) | 867,366 | 8,305,680 |
1984(59) | 851,351 | 9,157,031 |
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(KDセットを除く)(自工会資料・ホンダ調べ)
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(KDセットを除く)
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アコード・ビガーシリーズ生産推移
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