
1976 アコードハッチバック |
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1977 アコードサルーンEX |
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1978 アコードサルーン1800EX-L |
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1981 アコードハッチバック1800EX-T |
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1983 ビガーサルーンVXR |
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1984 アコードエクスクルーシブ |
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アコードは,1976年5月,乗る人の〈ゆとり〉と,人とクルマの〈調和〉をめざして,〈新しい主張のあるアダルト・カー〉として誕生しました。
FF方式,横置エンジン,ストラット方式四輪独立懸架など,これまで培ってきたホンダのFF技術をベースに,それまでにない人間重視のカー・テクノロジーを傾注してデビューさせたアコード1600ハッチバック・セダンは,当時このクラスとしては初めてという,ホンダが独自に開発した車速応動型パワーステアリングを装備(EX)したほか,無段変速オートマチック車を用意するなど,クラスを超えた“ゆとり”と“クオリティ”を備えていました。
そして,発売のその年から輸出を開始し,国内はもとより海外からもアコードの国際性は高く評価され,日本,オーストラリア,アメリカ各国での相次ぐ“カー・オブ・ザ・イヤー”受賞がその優秀性を実証しました。
以来,FF小型乗用車を代表するクルマとして巾広い支持を得て,1977年10月にアコードサルーン,翌1978年9月にはアコードハッチバック/サルーン1800シリーズを発売してラインアップを充実,世界からの多様なニーズに積極的に応えてまいりました。
また,ヒューマンな快適性と先進のカー・テクノロジーをさらに磨き,1981年9月,新型アコードとしてフルモデルチェンジ,同時にアコードの延長上にあるクオリティ・ツアラー,ビガーを誕生させました。
今日では,国際的なFF小型車として世界90ケ国で愛用され,アコード/ビガー生産実績256万台(1984年12月末:2,564,369台),輸出実績203万台(1984年12月末:2,035,341台)を記録し,世界的信頼を得てまいりました。
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アコードは,発売の年,国内でモーターファン誌主催のカー・オブ・ザ・イヤー第1位に選ばれ,翌1977年には,アコードEXに装着の車速応動型パワーステアリングで,自動車技術会賞・技術賞を受賞。海外でもその年,ホイールズ・マガジン誌(オーストラリア)主催'77カー・オブ・ザ・イヤー受賞,ロードテスト誌(アメリカ)主催'77カー・オブ・ザ・イヤー,アンダー5000ドル部門賞などを受賞し,早くから国内外で高く評価されました。
また,1981年に5年ぶりのフルモデルチェンジを行ったアコードは,1982年には権威あるヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーにおいて対欧州仕様車で,並いる世界のニューモデルに混じりながらも日本車中最高の6位に入賞。翌年は,ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー輸出日本車第1位の栄誉に輝いています。
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1982年11月。アメリカ・オハイオ州のホンダ・オブ・アメリカで,記念すべきアメリカ産アコード第1号車がラインオフ,アコードの現地生産が開始されました。以来ホンダスピリットに賛同するアメリカの人々の手で,当初計画を上まわるスケジュールで順調に生産が続けられ,'84年5月には日産600台のフル生産体制に入りました。1号車誕生からの生産実績はすでに194,701台(1984年12月末現在)を数え,’85年には年産15万台が予定されています。
順調な生産と呼応するかのように,アメリカでのアコード人気は年々高まり,アメリカの日本車車名別販売で,'82年から3年連続アコードが第1位となっています。
これら国内外での数々の優れた評価と実績は,ホンダの「クルマづくり」に寄せられた高い信頼とアコード/ビガーがもつクオリティの高さを実証したものと云えます。
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●アメリカ合州国でのアコード販売/生産実績
| (単位:台)
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| 販売実績 | 生産実績 |
1976 | 18,643 | — |
1977 | 75,985 | — |
1978 | 120,841 | — |
1979 | 157,919 | — |
1980 | 185,978 | — |
1981 | 172,557 | — |
1982 | 195,524 | 840(11月,12月) |
1983 | 222,137 (内オハイオ生産車50,402台) | 55,288 |
1984 | 256,646 (内オハイオ生産車133,601台) | 138,573 |
計 | 1,149,584 | 194,701 |
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資料:WARD'S AUTOMOTIVE YEARBOOK
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ホンダ・オブ・アメリカ オハイオ工場
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1982年11月、オハイオ工場製 アコード第1号車がラインオフ |
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