JSB1000 / #13
Team HRC
Takumi Takahashi高橋 巧

2004年、全日本ロードレース選手権GP125クラスにデビュー。08年にはGP250クラス史上最年少でチャンピオンに輝きました。 09年からJSB1000クラスにステップアップし、10年には鈴鹿8耐で初優勝。JSB1000クラスでは、11年にランキング2位。13年には3位にランクインします。同年の鈴鹿8耐で2度目の優勝を果たすと、翌14年には2連覇を達成。14年のJSB1000ランキング2位。15年2位、16年は3位でシーズンを終えました。悲願であるタイトル獲得に挑んだ17年は、第2戦の鈴鹿サーキットで3年ぶりの優勝を飾ると、続くスポーツランドSUGOでもポール・トゥ・ウィンでシーズン2勝目を挙げました。第4戦ツインリンクもてぎで2位、第6戦ツインリンクもてぎでは3位。第7戦オートポリスでも2位表彰台を獲得と、シーズンを通して着実に好リザルトを獲得。第8戦岡山国際サーキットでも6位とポイントを重ね、最終戦鈴鹿サーキットでは第1レース第2レースともに2位でフィニッシュし、逆転で年間チャンピオンのタイトルを決めました。また、同年の鈴鹿8耐では、MuSASHi RT HARC-PRO. Honda(高橋巧/中上貴晶/ジャック・ミラー)から参戦し、4位でチェッカーを受けました。18年は、10年ぶりに全日本ロードレース選手権へと戻ってきたTeam HRCからJSB1000クラスに参戦。新生Hondaワークスチームとしてタイトル連覇に挑みました。開幕前の骨折があったものの、最終戦までに表彰台を逃したのはわずか1レースのみ。最終戦のレース1では待望の優勝を独走で決め、レース2で3位に入り、ランキング2位となりました。
2019年にはタイトル奪還、また鈴鹿8耐での5年ぶりの優勝を目指し、シーズン開幕戦から好調な滑り出しを見せ、決勝レース1で表彰台 2位を獲得。そのままレース2も2位で表彰台に上がると、 続く第2戦では2レース連続でポール・トゥ・ウィンを獲得。その後の第3戦で今季4勝目をあげます。 第5戦では2日目にトラブルで転倒、右足の腓骨を骨折してしまいますが、すぐに入院、手術を行い、ドクターチェックを受けフリー走行に参加。決勝では足の痛みを抱えながらも3位で表彰台を獲得、第5戦まで終えた時点でランキング1位につけています。
また、鈴鹿8耐では、#33 Red Bull Honda(高橋巧、清成龍一、ステファン・ブラドル)から参戦。 予選ではトップタイムを獲得したものの、悪天候により全セッションが中止され、前日の結果により決勝では3番手発進。決勝では、何度もし烈な首位争いを繰り広げました。最終スティントでは連続走行を行い、セクタータイムで自己ベストを更新するなど果敢な走りを見せました。しかし、レース終盤から雨が降り始め、最終ラップに赤旗がでてレース終了。#33 Red Bull Hondaは3位を獲得し表彰台に上がりました。
参加予定プログラム
- 30
- 8:00
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- 9:00
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- 10:00
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- 11:00
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- 12:00
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- 13:00
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- 14:00
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- 15:00
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- 16:00
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- 17:00