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2000年モデル開発作業の基本方針は、重量物であるエンジンをより車体中央に近い位置へ前進させ、さらに低い位置にマウントするという点にあった。
「出来ることはなんでもやろうと思った。こちらからはより低重心のエンジンを作ってくれるよう無限にお願いした。そしてそのエンジンをどうやったら理想的な位置に積めるのかを工夫した」と、車体側の開発を担当した童夢の奥明栄氏は語る。
奥氏は、エンジンルームの空間を拡大するため、一旦エンジンの回転を増速してギアにかかる負荷を減らし、その分ギアをコンパクト化するという画期的な構造のトランスミッションを設計して2000年モデルに組み込んだ。「最も重い重量ハンディを課せられた時、最も良好なバランスを示すクルマ」という無茶な目標は、これらいくつかの技術的挑戦を組み合わせることによって達成されたのである。
「今、ほんとうにレースのやりがいがある」と脇阪寿一は言った。いまや脇阪はNSX陣営の先頭に立って戦う男に成長した。「2000年モデルは、ぼくのドライビングスタイルを考慮して開発してくれた。それだけ責任を感じるけれど、思い切り走れる。チームがぼくを信頼してくれるし、ぼくもチームを信頼して戦える。今は、チームがまるで家族のように感じるんです」
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Mobil 1 NSX Daisuke Ito / Dominik Schwager |
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NSX2000年モデルと充実したチーム体制を得た脇阪の才能は、今シーズンきらめいている。スポーツランド菅生で開催された2000年度全日本GT選手権シリーズ第3戦の公式予選、脇阪は90kgのウェイトハンディを積んだ状態でタイムアタックを敢行、なんとコースレコードを叩き出してポールポジションを獲得した。90kgのウェイトハンディは、最大累積ハンディには届かないながら従来ならば上位争いの権利はないと見なされる重荷である。2000年モデルの威力はここに現実の戦果として発揮されたのである。
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RAYBRIG NSX Akira Iida / Naoki Hattori |
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実は脇阪がポールポジションを獲得した直後、「あれだけの重量ハンディを積んであのタイムが出るのはおかしい。もう一度車検をやり直したほうがいいのではないか」という陰口がパドックの一部で囁かれた。ライバルに根拠のない疑念を抱かせるほどに、NSXと脇阪の速さは常識はずれだったのだ。NSX2000年モデルの開発陣がこの声を聞いていたら、いわれなき疑惑に憤慨するより先におそらく「してやったり」とほくそ笑んだに違いない。 |
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