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人類には祭りが必要だ
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人類には祭りが必要だ
人類は、太古の昔から祭りあるいは儀礼を行ってきた。人々が祭りを必要とした理由は、難しい理論を振り回さずとも、感覚的におおよその類推はできよう。それは、よりよく生きるための活力を得るためである。祭りは、人の気持ちを高揚させ、日常生活のなかで心のまわりに堆積した不純物をふるい落とす。そしてまた新たな気持ちで人生と対峙するための力を与えてくれるのである。 現在も各国、各都市で大小さまざまの祭りが行われている。それらに本格的に関わらなくとも、たとえば観光を兼ねて参加しただけで、何故か心にある種の充足感というか、スキッとした気持ちを覚えたことはないだろうか。

その不思議な感覚は何か。この理由をひもといていくと、普段あまり意識したことのない、祭りの実に面白い側面が見えてくる。
ある文化人類学的な分析によると、祭りによってたとえようもない充足感を覚えるのは、参加した人々の自己アイデンティティ確認欲求が満たされるからだという。つまり、祭りに参加しそれを受け入れることによって、一個の人間として自分の居場所を見つけられるのである。自分の居場所を確かめられることにより、人は不安から開放され自信を持って行動できるようになるのだ。

もちろん、参加する人によってアイデンティティの種類は違う。それが地元の祭りであるなら、地域におけるアイデンティティであろう。国内のどこかの祭りであれば日本人であること、海外の祭りに参加しても地球といった広い意味での居場所を見つけ充足感を得られる。

祭りがそこまで人の気持ちを捉えるのは、実はその非日常性にあるという。祭りは、正常で世俗的な秩序から、非日常で聖なる秩序への束の間の移行なのだ。日常とは異なる意識状態になり、理屈ではなく感覚的に聖なるものとの一体感を感じられる次元になることで祭りは成立する。
そうした次元をつくり出すために、聖なる象徴が必要であり、非日常的な衣装を着け、独自のルールにのっとった儀式を行い、盛大なる宴を行う。
阿波踊りやねぶた祭りなどの延々と続く乱舞、御輿を火中や海に投げ入れるあばれ祭りや鷺の衣装をまとって優雅に舞う鷺舞、果ては大木に跨がって急勾配を転がり落ちたり、人を乗せた巨大な山車を押していかに速く美しくカーブを曲がるかといった命がけの競演もある。あるいは、褌ひとつの裸の男が一万人も集まってもみ合い、一本の宝木を奪い合う祭り、夜叉などの恐ろしい面をかぶり太鼓を乱れ打つ祭りなど、非日常的熱狂の例は枚挙にいとまがない。ねぶた祭りのあとなど、子供がよく生まれると聞いたが、これも祭りの持つ非日常のパワーであろうか。
非日常であればあるほど祭りはその効力を高めるという。そして祭りが長年受け継がれるのは、自己アイデンティティの確認が人間にとって尽きることのない永遠のテーマだからである。

自己アイデンティティを確認するための祭りは、人にとって唯一無二のものでも不変のものでもない。世に革命が起り社会体系が変わると、人は生きるために新たな祭りを生み出すのである。何も革命が起きなくとも、既成のもので満ち足りない状況において祭りは増加する。

NSXオーナーとその仲間の、年に一度の祭典であるNSXフィエスタが年々盛況さを増してくるのも、そうした祭りに対する人類の欲求のあらわれではないだろうか。
NSXフィエスタは、豊富なドライビングメニューがあるため、参加するオーナーは事前にNSXの状態を点検し、オイル交換をするなど整備を行う。オーナーの場合、愛車をいたわる時点からNSXフィエスタという祭りに参加するための儀式がはじまるのである。
それが済み、首を長くして待ち、いよいよ開催日または前日になると、今度は会場となるサーキットへのドライブが待っている。これも祭りの序章。待ちに待った祝祭へ馳せ参じるために愛車を走らせる。スポーツカー乗りにはたまらない瞬間である。昨年開催されたツインリンクもてぎには、何と九州から気合いを入れて自走してきたオーナーがいた。
そして、およそ300台ものNSXが一同に会する。何百台も並ぶNSXを見るのは実に非日常的風景ではないか。オープニングセレモニーであるパレードランを終えると、特別講師として参加しているレーシングドライバー、ホンダのNSX開発者とのランチパーティでまずはざっくばらんに盛り上がる。そのあと、国際級のレースが開催されるサーキットで、普段の見る側の立場からステアリングを握る主役になるときを迎えるのだ。
ヘルメットをつけ、グローブをはめ、非日常的ドライバーになるための身支度を整える。そして、きわめてレーシーなドライビングポジションをとり、アクセル全開。公道では決して分け入ることのできない陶酔の世界へ旅立つのである。
NSXというきわめて深淵なる象徴があり、非日常的な舞台と衣装と行為に満ち、盛大なる宴もあるNSXフィエスタは、自己のアイデンティティ確認のためにきわめて効力の高いスポーツカーの祝祭であるといえよう。

そして、ドライビングメニューに重きを置き、年に複数回開催するもうひとつの祭りがNSXオーナーズ・ミーティングである。闘いに非日常性を求める祭りが数々あるように、闘争心を激しくぶつけ合い、完全燃焼させることで心身をリフレッシュさせることも、祭りのもうひとつの効用として見逃せない。まずは自分が相手だが、NSXオーナーズ・ミーティングは、まぎれもなく闘いの祭りなのだ。
より上手く操るろうとするほど、NSXの奥深さに出会える。世界第一級の運動性能を持つピュアスポーツとの闘いの祭りは、それこそ一生をかけて楽しめる悠久の祭りとなるだろう。

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NSX Press vol.23 1999年4月発行