トラクション コントロール システム
近年のスポーツカーの様子を見ていると、歴史は繰り返されるという印象を持つ。
その歴史とは、NSXがつくったものであり、そのNSXはホンダ開発陣の並々ならぬこだわりが生み出した、たしかに世界のひとつの指標となるピュアスポーツカーである。 そのこだわりのストーリーのなかから、今回はトラクション コントロール システムをご紹介したい。
こうしたシステムはとかくスポーツカーオーナーには嫌われがちであるが、一時期F1でさえ採用したことを考えると、ある目的下においてはきわめて有用なのである。
NSXは、“快適なるF1”という合い言葉のもとに敢えてこれに挑んだのである。

世界第一級のピュアスポーツカーを目指すNSXの理想の姿は、実はF1グランプリカーであった。
当然ながら、レースカーとストリートカーではフィールドが異なる乗り物であるから、F1はF1でも快適に操縦できるF1、すなわち“快適F1”という、開発者の間でNSXをつくり上げるためのマインドコンセプトが決められたのだった。

そのマインドを最も理解しやすいのは、NSXのパッケージングだろうか。同じミッドシップレイアウトでも、NSXのそれは、ドライバーがフロント寄りに座る思い切ったフォワードキャノピーであり、F1カーにきわめて近いレイアウトである。
その他にも、コンパクトでシンプルなダブルウイッシュボーン・サスペンションや超軽量・高剛性のボディ、高回転まで回るエンジンなども“快適F1”のマインドによるものだ。
だが、ミッドシップレイアウトには“快適F1”という基本コンセプトから見るとひとつの課題がある。 一般的にミッドシップは、走行性能が非常に高くなる見返りとして限界付近でシビアなコントロールが必要となる。また、車体の重心の前にドライバーが座る配置は、運動性を高めると同時に後輪の滑り出しを感じ取る感性レベルまで強くドライバーに要求してくるのだ。
そこでNSXの開発陣は、クルマの基本特性を高めてスタビリティを向上させるとともに、トラクション コントロール システム(以下TCS)に着目した。

駆動輪の無駄な空転を防ぎ最大効率の加速を実現するTCSのアイデアそのものは、70年頃に米国で生まれており、のちにABSと呼ばれることとなるタイヤのロックを防ぐブレーキシステムとともに一部商品化された。しかし、その後開発が行き詰まり、忘れ去られるという面白い歴史を辿っている。
NSXをより広いドライバーを許容できる新世代のスポーツカーとして成り立たせるには、駆動をかけたときの安定性向上は必須であり、駆動力を制御するべきではないかという着想が浮上し、技術陣はTCSの開発に取りかかることになったのである。開発がはじまった時点では、まだ世にTCSという言葉すら存在してはいなかったのである。

TCSを開発するために開発陣がまず取り組んだのは、TCSそのものではなく、それを開発するために必要な測定装置の開発であった。
TCS開発を担当した白石修士はいう。「何か制御をしようとする場合、まず計測によって制御しようとする相手を正しく知ることが必要。計測ができるということは制御ができるということで、計測と制御は表裏一体のものなんです」と。
とはいえ、望むTCSを開発するには、きわめて短い周期で走行中の車体の状況を感知しそれに応じた制御を返す必要がある。その周期は実に1秒間に200回というレベルに達する。NSX開発着手当時、それだけの速度で精密な計測ができる機器は存在しなかった。そこでまず、計測器の開発からはじめなければならなかったのである。
車体の姿勢の変化を知るためにはジャイロが不可欠だが、1秒間に200回という周期できわめて微細な変化を正確に計測できるジャイロは決して広く流通しているものではない。NSX開発陣は結局、ジェット戦闘機の姿勢制御に使われていた光ファイバージャイロと呼ばれる特殊なジャイロを採用することを決めた。これは2kmほどの長さの光ファイバーを巻き、両側から光を通して終点までの到達時間差を計測することで回転を知る仕組みのジャイロで、きわめて微細で正確な計測ができる、当時最先端の機器であった。それだけの精度がなければ、NSXのTCSは開発できなかったのである。

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NSX Press vol.23 1999年4月発行