NSX GTマシンのエンジン開発を率いた永長 真氏。第一印象は、実直そのもののナイスミドル。きまじめさを象徴する眼鏡の奥で澄んだ瞳を輝かせ、永長氏は初めてエンジンというものを強く意識したときのことをこう語った。
「中学生の頃、ホンダのCR110というオートバイの存在を知りました。このマシンは市販レーサーで、何ともいえずエンジンが美しかったんです。それを見て一発でエンジンに惹かれました。なんて美しいものなんだと。何故マシン全体ではなくエンジンの美しさに感動したか…それは私にもわかりません」
何かを好きになるのに理由はない。そういうものである。我々は、ある日わけもなく何かに波長が合うことに気づく。“好きなもの”を明確につかみとれる人は幸福。“打ち込める人生”を手に入れられるのだから。
それほど衝撃的に心を捉えたCR110であったが、オートバイに乗れる高校生になっても結局手に入れることはできなかった。中古車でありながら非常に高価だったからである。しかし大学生になり、ついに念願のエンジンつきの乗り物を手中に納めることとなる。4年中古のホンダS800である。当時、同様のスポーツカーは他にもあった。しかし、まったく比較の対象にならなかったという。かたやファミリーカーの流用エンジン。かたやDOHC、アルミ製、4連キャブ、全ローラーベアリング仕様。8,500rpmまで回るGPエンジンのミニチュア版。独自のチェーンドライブだ。
S800を手に入れたその日から、どこへ行くにも一緒。永長氏は毎日このクルマと過ごすことになる。通学、買い物、山道へのドライブ。信州辺りの山道はほとんど制覇し、自己流で腕を磨いた。まるで中嶋
悟氏のエピソードを思わせる。
しかし、ドライビングではなく、永長氏はあくまでもエンジンの魅力に取り憑かれていった。当然、自らクルマに手を加えはじめるが、それもエンジンのみ。ボアアップはもちろん。エレクトロニクス化されていないこの時代のエンジンは、いくらでもさわる所があった。故障もした。通算7年ともに過ごすことになった11年モノのクルマである。ドライブに出かけるたび故障の思い出。それも全部自分で直した。クルマにさわるのが好きでたまらないのだ。慶応大学で機械工学を学びながら、永長氏は“走る実験室”を手にしていたのである。
卒業後も大学に残っていた永長氏は、教授のすすめで社会人となり、ジェットエンジンの開発を行うこととなる。ちょうどその頃国産ジェット機の開発が立ち上がったからだ。航空機の開発は10年ひとくぎり。およそ9年間かけ、永長氏はジェットエンジンを量産段階にまで仕上げた。
さあ、次の仕事。このとき、なぜか永長氏はたまらなく自動車の仕事がしたくなったという。社会人となり仕事に没頭するため、手の掛かるS800は9年前に手放していた。しかし、ひとつのプロジェクトを成し遂げ、再びクルマと過ごしたい気持ちがむくむくと頭をもたげてきたのだ。
そして無限の門を叩く。理由は、小回りの利く体制の中で自分の好きな車をつくりたかったからである。いきなりの転身。彼の情熱を、妻の理解が支えた。 |